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宮沢賢治の作品の原点 「銀河鉄道の夜」、「風の又三郎」の舞台を訪ねて

風の三郎社

宮沢賢治の作品の舞台が山梨に!

以前、甲府に関係する作家で“太宰治”を紹介しました。今回は甲府の西隣に位置する北杜市及び韮崎市に“宮沢賢治”の作品に関係する場所を探ってみました。
というのもたまたま賢治の「風の又三郎」に関係するのでは?というスポット、その名も「風の三郎社」という神社があることを耳にしたためです。さらに「銀河鉄道の夜」の舞台ではないか、という場所もあることを知り、ますますその気になりました。

賢治は山梨には来たことがない!?

だが、そもそも岩手県出身の宮沢賢治は山梨県には来たことがないようである。ではどうして? これには韮崎市出身の“保阪嘉内”が関係しているのでは?ということです。嘉内と賢治は盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)の寮で同部屋であったそう。その際、嘉内から故郷山梨の話を幾度と聞き、その話から情景を思い浮かべ、想像を膨らまして書いたのでは?とも考えられます。
ということで先ずは「風の三郎社」を訪れて見ました。

同人誌「アザリア」のメンバー。後列右が賢治で左が嘉内

270年程前から伝わる「三社参り」という風習が・・・

北杜市高根町清里に「三社参り」という風習があることが分かりました。この地域は“八ヶ岳おろし”といって冬は八ヶ岳から強い風が吹き下ろすため、“風切り”と呼ばれる防風林があります。まさしく「風の又三郎」に関係していそう、という感じ。
先ずは三社のうち「権現神社」といわれる神社を目指しましたが、何日か前に降った雪が残っていてたどり着けそうもなくあえなく断念。(中心ともいうべき神社なので残念‼︎)
次に「日吉神社」を訪ねました。近くなのですぐ分かりました。

最初にある鳥居。さらに奥には木造の鳥居が見える。

残雪がある畑の傍を抜けて歩いて行くと石でできた鳥居があり、さらにその奥には木製の歴史ある鳥居が見えました。そこには1000年近く経つのではという大きく立派な杉の木が階段両側にあり驚愕。成長する過程で参道の階段を根が押し上げたせいか、石段がうねっていて歩きづらいことこの上なし。階段には雪が無かったのが幸いでした。

立派な杉の木。石段がうねっている。
社殿は質素な作りですが、歴史が感じられるものでした。

続いて三つ目の「風の三郎社」へ。まさしく風の又三郎を匂わす神社。だがここからが困難を極めました。近くまでは車で行けるのですが、どこにあるのかさっぱり分からず。地元の方々に尋ねると決まって最初に行くはずだった「権現神社」を案内するのです。そんなこんなで行ったり来たりしているうちに狐につままれたのではと思う次第。ダメ元で駐車していた若い女性に尋ねたところ、知り合いに電話で聞いてくれて風の三郎社まで案内してくれました。まさに感謝感激!その女性にこの辺りの出身か尋ねると、なんと岩手県出身で数ヶ月前に山梨に来たばかりとのこと。なんという巡り合わせでしょう!ちょっと神がかり的な偶然に驚きと感動を抱いて風の三郎社へ到着出来ました。

残雪も邪魔して神社位置が分かりづらい
歴史が感じられる古い鳥居
赤い屋根の小さな祠。風の三郎社
風で祠が飛ばされないよう石を重しに!
周囲に鹿らしき足跡。鹿もお参りに来た?

思っていたより正直小さなものでしたが、小さいながらも趣のある神社で心を和ごましてくれました。
この辺りは防風林があるほど風が強い地域。嘉内がそんな話を賢治にしたところから「風の又三郎」ができたのだとしたら・・・
しばし感慨にふけり、風の三郎社をあとにしました。

「銀河鉄道展望公園」という場所がある!

さて、次に訪れたのは韮崎市にある「銀河鉄道展望公園」。なんかそれらしいものが道路沿いにあることは以前から認識していましたが、あらためて行ってみました。
ちょっとした小さな展望台ですが、韮崎市も観光スポットとしたいようで細かな案内看板が設置されていました。
元々は観光で近くのペンションに宿泊した女性がこの場所から見る夜景から「銀河鉄道の夜」を連想したことに始まったそうです。たしかにこの場所は保阪嘉内の実家から遠くない場所。嘉内が賢治にここからの夜景を何度となく話し、そこからこの作品が生まれたのかも、と思わせる場所ではあります。
ただ今回は昼に行ったので、やはり夜に行ってみないと実感が湧きません。昼だとどこが線路なのかも分からない始末・・・

銀河鉄道展望公園からの景色。
詳細に書かれた説明板。

公園の隅には親切に中央線の電車が通過する時間が書かれた看板が設置してあるので、その時間に合わせて見ていれば“銀河鉄道”が現れることでしょう。
(当然夕方からの時刻が書かれています)

公園に設置された案内板

この案内看板に面白いことが記載されています。中央下部に「ハレー彗星」と書かれていますが、保阪嘉内が甲府中学時代に南アルプス上空をハレー彗星が流れているスケッチを描き、「まさに夜行列車のようだ」と書き記していて、賢治もそのスケッチを見ており、それをもとに後に書き上げたのが「銀河鉄道の夜」では?とのこと。
様々な推測ができて、それがある意味楽しくもあり、機会あればさらに宮沢賢治作品のルーツを探ってみようと思います。

関係するホームページ(ご参考)
 ◉風切りの里「三社参り」
 http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/jinja2/3syamairi.htm

◉銀河鉄道展望公園
 https://www.nirasaki-kankou.jp/kankou_spot/kouen_bijyutsukan_shiryokan/kouen_teien/4332.html

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