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武田氏の築城技術を結集し完成を目指した最後の城
武田信虎が甲府市のつつじが崎に館を造り、その後信玄、勝頼と3代の居城となっていましたが、勝頼は甲府の西方、韮崎の地に新たな城を築城し移転することにしました。
織田軍の侵攻に備え、強固な城を造ったのですが、予想より織田軍の侵攻が早かったため、未完成のまま入城し最後は勝頼自身が火を放って退去するという戦国時代末期の動乱の中で悲しい運命を辿った平山城です。
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歩いていると至る所に案内・説明看板が設置されているので分かりやすくなっています。
新府城想定復元図がありました。
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大手門前には武田流築城の特色である「丸馬出し」とその前方に「三日月堀」が配置されていたようです。また西側は七里岩の断崖と釜無川によって守られた要害です。
この場所に築城したのは信濃方面から侵攻してくる織田軍を迎え撃つためといわれております。
新府城に来て分かったのですが、思っていたよりも虎口や井戸跡などしっかり残っているのに驚きでした。特に井戸は直径20m以上はあるのでは・・・という大きさです。説明看板が無ければ大きい凹みと思って見過ごしていたことでしょう。
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また本丸は結構広い敷地面積があり、現在は「藤武神社」があります。これは勝頼が鎮守として祀ったのが始まりといわれています。
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訪れた日は草なども刈られていて手入れがされている感じでした。また本丸の一部エリアは発掘調査がされています。
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また「武田勝頼公霊社」と書かれた石祠が建立されていてその横には勝頼公また武田氏を讃えたこれまた大きな石碑があります。
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勝頼自らによって火が放たれ・・・
織田軍の武田攻めが勝頼の想定よりあまりに早く、この新府城は1581年末に一年足らずで一応の完成を見るが、その翌年に武田家は滅亡します。甲府の府中に対してこの地を新府と名づけ、死守する決意でいた勝頼でしたが敵方への投降者が相次ぎ、この城は勝頼が入城して70日程で自らが火を放って退城するという何とも悲劇の城となってしまいました。
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今回は駐車場から西出構えから乾門桝形虎口、二の丸そして本丸と抜けて見学しました。
さすがに暑さの中で249段の神社参道を登る勇気はなく、降りるのに利用。残念ながら大手門方面は時間の関係で見ることができなかったので次回の楽しみにとっておきます。
新府城跡 韮崎市中田町中條
JR中央線新府駅から徒歩15分
HP:韮崎市観光協会
https://www.nirasakikankou.jp/kankou_spot/jinjya_bukkaku_rekishi/meisho_kyuseki/6562.html
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