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【主祭神は日本武尊(倭建命)】
JR中央線「酒折駅」のすぐ近くにある「酒折の宮」を紹介します。
決して大きな神社ではなくこじんまりした神社なんですが、境内には石碑がいくつかあってただならぬ感じがするのです。
この神社は古代、ヤマトタケルノミコトが東国の蝦夷討伐の途中、立ち寄った行宮の地とされ古事記や日本書紀にも記載されているというからびっくり。
ヤマトタケルノミコトが酒折の宮に着いたとき
「新治、筑波を過ぎて、幾夜か寝つる」
(茨城県の新治・筑波を出て、ここまでに幾晩寝ただろうか)
と歌われたところ家臣の中に答えることができた者がいないなか、御火焼(焚き火番)の老人が
「かがなべて、夜には九夜、日には十日を」
(指折り数えてみますと九泊十日かかりました)
と答えの歌を読んだとのこと。尊はこれを大変誉めて、東の国造の位を授けたという伝説が残っています。
これが後に連歌の発祥の地となったとのことで、多くの学者、文学者が訪れる場所となりました。
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その他にも境内には1762年に国学者である山県大弐(甲斐出身)がその師である加賀美光章らとともに社殿を造営した際に、この地が東征の故事に記された酒折宮旧址であることを記した「酒折祠碑(しひ)」、又1766年に国学者本居宣長が「酒折寿詞(よごし)を撰文し碑を興隆したといわれこれらの石碑が並んでいます。
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