築城時期によって違いが見られる石垣
甲府城は1592年から1598年ごろに天下統一を果たした豊臣秀吉の命令によって築城されました。その目的は関東の徳川家康を監視するためです。
甲府城においては、いわゆる天守閣が「存在した」「存在しない」の論争がありますが、まず今回は甲府城の石垣について見ることとします。
甲府城は初期の石積み方式「野面積み」
「城が全国各地で築城される中で「野面積み」の石垣は早い時期に築城された城に見られる石積み方式です。別名「穴太積み」(あのうづみ)とも言われます。(近江の石積み集団「穴太衆」が開発した積み方)
石は甲府城の城内から採石された安山岩で、不足分は近くの山(愛宕山)から採石し運んだものを使用しています。城の南側には採石跡(石切場跡)が残されています。
野面積みの他には「打込接(うちこみはぎ)」、「切込接(きりこみはぎ)」といった石積み方式があります。
石垣の強度を確保するための工夫
石垣の角の部分はどうしても強度が弱くなりがちで、また上部に櫓(やぐら)など建物があるため強度を補う必要がありました。そのため積み方に工夫が見られます。
それが「算木積み」(さんぎづみ)という方法です。
算木積みは横長の石材を長い方と短い方を交互に組上げます。そして隅脇石(すみわきいし)を上下からはさむことで、角の部分を強化しています。
石垣の中はどうなっている?
石垣は石だけを積み上げているように思いがちですが、表面は大きな石が積み上げ、その裏には「裏込石」という水はけをよくするための小さな石が詰められていて、さらにその奥は「盛土」になっています。
したがって城にとって水はけ(排水)はとても重要です。雨水などが盛土や石垣内部にたまると石垣が不安定になるため効率よく排水する設備として「暗渠」(あんきょ)という穴が所々にあります。
甲府城石垣に見られる特殊性
甲府城の石垣には珍しいものが見られます。それは「兄弟石」と言われるものです。
一つの石を二つに割って石垣に使っていることからこの名前がついたそうです。
わかりやすいのは天守台の石垣の中央部にある「兄弟石」です。
(赤い部分)
拡大した写真が下です。
この二つの石はもとは一つの石でした。石を割る時は「矢穴」という切り込みを入れて割るのですが、その矢穴の位置がピッタリ合致しています。
(ちょっとキザギザになっている部分が“矢穴”)
天守台石垣にはこの他にも兄弟石がありますので探して見るのもまた楽しみです。
天守閣だけでない城の楽しみ
“城=天守閣”というイメージがありますが、城の楽しみ方はいろいろあり甲府城の場合はこの石垣を見るのが最大の魅力だと思います。甲府駅の目の前にありますのでぜひ立ち寄って見学してみてください。
甲府城
甲府市丸の内1丁目5−4 (舞鶴城公園甲府城跡)
JR中央線甲府駅(南口)から徒歩2分
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