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甲斐国に大きなうねりを巻き起こした源義清と清光
戦国時代の武将として名高い武田信玄公。その父である信虎公、また信玄の後を継いだ勝頼公もその名を今に残す名高い武将でした。
その武田氏の源流をたどると源義清(よしきよ)、その息子清光(きよみつ)にさかのぼります。朝廷から甲斐国への配流を命じられ常陸国(茨城県)から甲斐国へとやってきました。西暦1130年、そこから甲斐源氏の歴史が始まるのでした。
最初に土着した「市河荘」、そして清光は逸見(へみ)の地へ
義清、清光親子が最初にやってきたのは「市河荘」(いちかわしょう)といわれた甲府盆地の南部にあたる荘園でここを勢力基盤としたといわれています。
現在の甲府市南に隣接する昭和町には「義清神社」があり、本拠地であったようです。(一説にはさらに南部の市川三郷町の平塩岡といわれる地域が本拠地であったという説もあり)
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また神社の近くには「おこんこん山」という塚があり義清の墳墓であるといわれています。
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そして息子清光は八ヶ岳南麓の「逸見荘」へ
義清が市河荘で勢力を拡大する一方、息子清光は逸見(へみ)荘へ目を付けここを本拠地としたことから逸見清光といわれます。(逸見とは八ヶ岳南麓一帯の古い地名)
現在の北杜市になりますが、旧跡が多く残っておりその一つに谷戸城跡があります。城といっても戦国期の石垣を積み上げた城ではなく、地形にあわせ土塁や空堀を配した円状の形をした平山城です。9月上旬に訪れましたが、草刈りもしてあって見学しやすい状態でした。
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ただ、この手の城は初めてだったのでどう歩いて行けばいいのかよくわからない感じで最初戸惑いました。まぁ、分かりやすければ城の意味がないのでしょうが・・・(笑)
国の史跡として指定されてはいますが、認知度は決して高いとは言えない歴史遺産。もっと広く知れ渡り甲斐源氏の歴史の中での武田氏他の活躍を知ってもらいたいと思います。
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谷戸城の鎮守・八幡神社と一緒になった「逸見神社」
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逸見神社は元々は諏訪明神を祀った神社で逸見冠者清光以来、逸見氏代々が崇拝するうちに逸見神社と称するようになったのが始まりのようです。確かに真っ先に目がいったのは神紋で「梶の葉」が描かれていたので、諏訪大社関係?とは思いました。
平成12年に谷戸城の鎮守としてあった八幡神社を逸見神社内に移設新築したとのこと。両神社の神殿は並んで建っていることになります。(天候が悪化したため神殿までは見れませんでした)
また八幡神社の鳥居や灯籠なども境内に移設したとのことで二ノ鳥居には「八幡神社」と書かれています。
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この神社から少し離れたところには「清光寺」といって清光が開基した曹洞宗寺院もあります。(今回は残念ながら行けず・・)
この逸見の地からその後の甲斐源氏の活躍が始まったと言えるでしょう。清光の次男「信義」が甲斐国で初めて武田の名を名乗ったのが1140年、そこから武田家17代当主である勝頼が自刃し滅亡する1582年まで甲斐武田氏は著しい躍進を遂げるのでした。
義清神社…山梨県中巨摩郡昭和町西条4265
ホームページ:https://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/5045
谷戸城…山梨県北杜市大泉町谷戸260
ホームページ:https://www.hokuto-kanko.jp/sp/sakura_yato_castle_ruins
逸見神社…山梨県北杜市大泉町谷戸1143
ホームページ:https://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/6174
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