カテゴリー
観光情報

甲府のお寺めぐり④ー法泉寺(甲府五山) 「首級牛蒡」(しゅきゅうごぼう)の話が伝わる武田勝頼の菩提寺

甲府五山の紹介も4回目となります。今回は「法泉寺」のご紹介です。
法泉寺は南北朝時代の初期に武田信武(甲斐武田氏第10代:武田家中興の祖と謂われる)が夢窓国師(夢窓疎石)を開山として建てた寺です。
武田氏歴代の保護厚く、信玄が甲斐五山に定めました。

法泉寺鐘楼門(市文化財指定)
山門をくぐると灯籠が立ち並ぶ

この法泉寺には開基した武田信武と信玄亡きあとを継いだ武田勝頼の墓があるのですが勝頼について「首級牛蒡」(しゅきゅうごぼう)の話が伝わっています。
簡単に説明すると、自害した勝頼の首が討ち取られ最終的に京都六条河原に梟首(さらし首のこと)されたのを悲しんで、法泉寺三世の快岳禅師が京都妙心寺の南化玄興和尚の力添えで首級をもらい受け妙心寺で葬儀を営んだ。さらにその首級を甲斐国へ持ち帰ったが織田勢の目が厳しく、見つかる寸前に山中の民家の縁の下にあった牛蒡(ごぼう)の俵の中へ首級を隠して難を逃れたという話です。
史実では歯髪をもらい受けて甲斐に持ち帰ったようで、この話は「法泉寺ばなし」として伝えています。

武田勝頼の墓 左奥には武田信武の墓が見える。
草木の緑が目に染みる境内

歯髪は境内に一角に埋め目印に山サクラの木を植えたのですが、そのサクラは周辺の桜と異なり吉野山のサクラと同じと言われていて現在も墓の傍に桜の木があります。

ホームページ:http://www4.nns.ne.jp/~hosenji/index.htm

臨済宗妙心寺派 金剛福聚山法泉寺(こんごうふくじゅさんほうせんじ)
 甲府市和田町2595
JR甲府駅南口からバス10分 北中入口下車徒歩15分

甲府観光ツアー専門
カテゴリー
観光情報

甲府のお寺めぐり③ー東光寺(甲府五山) 雄大な池泉鑑賞式庭園があり平安時代からの歴史を伝える禅寺

今回は臨済宗(禅宗)の甲府五山の一つ「東光寺」を紹介します。
東光寺はJR身延線「善光寺駅」から徒歩15分ほど、甲斐善光寺の西方に位置します。
歴史を辿れば1121年、密教寺院の興国院として開創された後、鎌倉の建長寺を建てた名僧蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)によって改宗し興国禅寺として開創。その後東光寺と改名した歴史があります。

境内の入り口。可愛らしいオブジェが飾られているんですよ。
蓮が飾られていて涼しさを感じさせます。

仏殿(薬師堂)は織田軍の放火でも焼け残り、昭和20年の空襲で本堂など中心部が焼失するなか奇跡的に難を逃れたもので室町中期の唐様建築物として国の重要文化財になっています。

東光寺仏殿(薬師堂)

戦国時代、武田信玄の長男義信は謀反を計画したとのことでこの東光寺に幽閉されたのち、30歳で自害しました。この武田義信のお墓があるとともに、信玄公の側室であった諏訪姫の父・諏訪頼重のお墓も並んであります。

信玄公の長男・武田義信のお墓
諏訪姫の父・諏訪頼重のお墓

この東光寺の魅力として蘭渓道隆が作った池泉鑑賞式の庭園があり、鎌倉時代中期の特徴をついた様式で県の名勝指定となっています。(庭園拝観には300円かかります)また境内にも様々な趣向を凝らした装飾やオブジェがあり心和ませてくれます。

苔玉が通路途中に吊るされていて風情があります。
暑い夏に涼を感じさせる演出。すごくいいですね!
蓮が鉢に植えられて置かれていました。
枯山水。水流を表した砂紋が美しいです。
緑に囲まれた境内通路。

季節によって境内のたたずまいが変わっているので何度も足を運びたくなるお寺です。

ホームページ:https://https://kofu-tourism.com/spot/32

臨済宗妙心寺派 法蓋山東光寺(ほうがいさんとうこうじ)
 甲府市東光寺3−7−37 JR身延線善光寺駅から徒歩15分

甲府観光ツアー専門

カテゴリー
観光情報

甲府のお寺めぐり②ー能成寺(甲府五山) 整然とした庭園の中で座禅体験ができる禅寺

臨済宗(禅宗)の甲府五山の一つ「能成寺」を紹介します。
能成寺はJR身延線「金手駅」から徒歩で7、8分ほどのところにあります。
木々に囲まれた中に落ち付いたたたずまいを見せる能成寺。参道をしばらく歩くと野面積みの石垣が見え、その石垣に沿って若干の上り坂を進んでいくと寺院の建物が見えてきます。

このお寺は14世紀に当時の甲斐国守護である武田信守が現在の笛吹市に開基、16世紀に武田信玄が現在の地に移されたそうです。武田信守の供養等が富士山を望める場所に建てられています。
緑の木々に囲まれ時の流れもゆっくりと感じられるこの寺では座禅体験ができ、身も心もリフレッシュできます。

座禅の間

境内の随所に趣ある光景がみられ、安らぎを与えてくれます。

能成寺がある付近一体は昔は池で、龍が棲んでいてたまに暴れては洪水を引き起こしていたという伝説が残っています。その伝説を偲んで建てられた碑が建てられています。
又、松尾芭蕉の俳句「名月や 池を廻りて 夜もすがら」と刻まれた句碑も建てられており文学的香りも感じられます。
その他にも虎のようにも見える大きな「虎嘯(こしょう)石」と呼ばれる岩、赤穂浪士・大野九郎兵衛の墓もあり見所豊富です。

ホームページ:https://kofu-tourism.com/spot/35

臨済宗妙心寺派 定林山能成寺(じょうりんざんのうじょうじ)
 甲府市東光寺町2153  JR身延線金手駅から徒歩7、8分

甲府観光ツアー専門

カテゴリー
観光情報

甲府のお寺めぐり①ー長禅寺(甲府五山筆頭寺) 五重の塔がシンボル 信玄公の母大井夫人の菩提寺 

皆さん「甲府五山」ってご存知ですか?
武田信玄公が京都五山、鎌倉五山にならい臨済宗(禅宗)の五つの寺院を五山と定めたものです。
今回はその甲府五山筆頭の寺「瑞雲山長禅寺」を紹介いたします。

東京方面からJR中央線に乗っていると甲府駅に到着のため減速し始める付近で右側に五重の塔が見えます。それが長禅寺です。

五重の塔

このお寺は元々は現在の南アルプス市にあり、信玄公が現在の場所に移しました。(南アルプス市の長禅寺は今では古長禅寺と言われています)
信玄公の母、大井夫人の菩提寺であります。
また信玄公はこの長禅寺で儒学、修禅、治国の基本を学んだ所であるとともに、この長禅寺で出家をして“信玄”の法号を授けられたのです。(それまでは武田晴信でした)

三重の塔、後方には五重の塔が見える

本堂北側の桜林の中に大井夫人のお墓があるとのことでお参りをしようとしたところ、入り口に看板があり現在は“通行をご遠慮ください”とのことでした。

左手から回り込めば通路の上部に出れますので大井夫人のお墓にたどり着けます。

大井夫人のお墓

広い境内は手入れが行き届き、木々の緑が五重の塔、三重の塔と相まって悠久の歴史を感じずにいられない寺院です。
甲府駅から徒歩で10分程で行けるのでぜひ訪れてみてください。

大井夫人の霊廟(みたまや)
境内の木々が美しい

文化財:絹本著色武田信虎夫人像(国の重要文化財)
紙本著色渡唐天神像(県文化財)
大井夫人の墓
ホームページ:https://kofu-tourism.com/spot/34

臨済宗妙心寺派 瑞雲山長禅寺(ずいうんさんちょうぜんじ)
 甲府市愛宕町208  甲府駅北口から徒歩10分
  

甲府観光ツアー専門.
カテゴリー
観光情報

甲府観光専門旅行会社「HKPツアーズ」!甲府から始まるプチツアーズ‼︎

2021.6 ヒーリング Kofu プロジェクト
「ワイナリーめぐり」登場!

武田信玄公が生誕500年を迎えた今年、甲府で癒しをテーマに観光ツアーを開始。
日本一の渓谷美「御岳昇仙峡」、世界に誇る「ジュエリー」、そして「ワイン」
「フルーツ」、「温泉」とまさに癒しの宝庫である甲府。

ついに「やまなしKofuのワイナリーめぐり」が登場‼︎“ワイン県”を宣言した山梨のワインをご堪能ください。

甲府を楽しんでいただく観光ツアーを「HKPツアーズ」が提供してまいりますのでご期待ください。

第ニ弾としてご提供するのは、
“Eating”

やまなしKofuのワイナリーめぐり

“ワイン県”を宣言した日本一のワイン生産量とワイナリー数を誇る山梨県!その中心地である甲府でワイナリーをめぐるツアーがついに登場。少しの時間があれば気軽に楽しめるツアーです。
お好みのワインを見つけてみてはいかが?

詳細は下記アドレスをクリック!

エイチケイ・プロジェクト

https://hkpt.net/
HK・プロジェクト
山梨県知事登録旅行業
 第2−325号
全国旅行業協会会員 山梨県旅行業協会会員

カテゴリー
観光情報

千代田湖 甲府の北西部、昇仙峡の麓にあるヘラブナ・ブラックバスのメッカ。

甲府市内から北西部、いわゆる昇仙峡方面に向かう途中にある小さな湖をご存知ですか?正式名は「丸山貯水池」なんですが、通称「千代田湖」で知られています。
市街からけっこう山に登った場所で標高550mのところにあります。

下方に見える街並みは甲府市街。千代田湖がいかに標高が高い場所にあるか分かります。

もともとここは農業灌漑(かんがい)用の人造湖なんですが、昔からヘラブナ釣りで知られた場所です。また今ではバス釣りのスポットでもあり週末ともなると季節を問わず釣り人が訪れるいわば“穴場スポット”と言えるでしょう。小さな湖ですが季節によって様々な姿を見せてくれるので結構気に入っています。

新緑が眩しい季節。ボート釣客も多い
湖畔の小高い山には桜が咲いているのが見える
冬枯れの木々に陽が沈む夕暮れどき


ドローンで上空から景色を撮ると千代田湖と周りの山々、また千代田湖と甲府市街がマッチしてとても圧倒される光景が見られます。遠くに富士山も見ることができ、まさに絶景と言えるでしょう。

右上に富士山の姿が見えます。(ドローン撮影)

まだ行ったことのない方は千代田湖、一度行ってみてください。時期にもよるでしょうが、カモの親子が泳いでいたり、また先日は湖畔の道路をカメ(それもかなり大きいカメ)が横断していました。
そういった動物たちと出会えるのもいいものです。

千代田湖畔の千和さん http://senwa.sakura.ne.jp/

甲府観光ツアー専門.

カテゴリー
観光情報

「やまなしプラザ」は隠れた穴場 地下にひっそりとある“甲府城石垣展示室”

甲府駅南口から歩いて5分ほどの平和通り沿いにある茶色い大きな建物。ここは山梨県防災新館といって災害時等の防災拠点としての役割を果たすために2013年に完成した建物で県の行政組織も配置されているのですが、1階は「やまなしプラザ」といってジュエリーミュージアムやレストラン、県特産品ショップなども入っています。

「やまなしプラザ」が入る山梨県防災新館

その地下1階にひっそりとあるのが「甲府城石垣展示室」。これは防災新館建築時に発掘調査によって確認された甲府城の内堀(一の堀)の石垣なんです。
一旦は仮置き場に保管され点検後に移設復元したものなんですが、実は甲府城って現在の3倍の敷地面積があったのをご存知ですか?現在の甲府駅や山梨県庁舎などは昔の甲府城の中に建っているんですね。そう考えると甲府城って現在でも大きいと思うのですが、元々は相当な大きさであったということがわかりますよね。甲府城についてはまた後日取り上げたいと思います。

この木は胴木といって石垣の重みや水で崩れが生じないように基礎に木材を敷いた。
約13mを移設復元した築城時の主流であった野面積み(のづらづみ)による石垣

石垣の図面が飾ってあったので撮ってきたのが上の写真。胴木が一番下に敷かれているのが分かりますよね。根石から積み上げて合間には詰石、内部には裏込石など入れることで強度を保つんでしょう。その他にも算木積みといった石垣の隅部の強度を上げる技法もあったりで、昔の築城技術って本当にすごいといつも感心させられます。

かつての甲府城の大きさがうかがえます。城内地図の赤丸がやまなしプラザ位置

石垣の積み方についての説明があります。(野面積み、打込み接、切込み接)

築城された安土桃山時代から江戸時代にかけての城主、藩主の変遷など。

簡単な展示室ですが無料で見ることができ、また石垣についてや甲府城についてもその歴史に触れることができます。機会があったら訪れてみてはいかがですか?

やまなしプラザhttp://www.yamanashi-plaza.com/

甲府観光ツアー専門.
カテゴリー
観光情報

酒折宮 “連歌発祥の地” 古事記・日本書紀にも記され日本武尊が立ち寄った神社

【主祭神は日本武尊(倭建命)】

JR中央線「酒折駅」のすぐ近くにある「酒折の宮」を紹介します。
決して大きな神社ではなくこじんまりした神社なんですが、境内には石碑がいくつかあってただならぬ感じがするのです。
この神社は古代、ヤマトタケルノミコトが東国の蝦夷討伐の途中、立ち寄った行宮の地とされ古事記や日本書紀にも記載されているというからびっくり。
ヤマトタケルノミコトが酒折の宮に着いたとき

「新治、筑波を過ぎて、幾夜か寝つる」
 (茨城県の新治・筑波を出て、ここまでに幾晩寝ただろうか)

と歌われたところ家臣の中に答えることができた者がいないなか、御火焼(焚き火番)の老人が

「かがなべて、夜には九夜、日には十日を」
 (指折り数えてみますと九泊十日かかりました)

と答えの歌を読んだとのこと。尊はこれを大変誉めて、東の国造の位を授けたという伝説が残っています。
これが後に連歌の発祥の地となったとのことで、多くの学者、文学者が訪れる場所となりました。

その他にも境内には1762年に国学者である山県大弐(甲斐出身)がその師である加賀美光章らとともに社殿を造営した際に、この地が東征の故事に記された酒折宮旧址であることを記した「酒折祠碑(しひ)」、又1766年に国学者本居宣長が「酒折寿詞(よごし)を撰文し碑を興隆したといわれこれらの石碑が並んでいます。

      酒折祠碑(しひ)

酒折の宮…甲府市酒折3−1−13 JR中央線酒折駅から徒歩5分程

http://sakaorinomiya.jp/s/top.html

     酒折寿詞(よごし)
甲府観光ツアー専門.

カテゴリー
その他 観光情報

戦国時代の「甲冑」を手作り!?あまりの完成度の高さに驚きと感動!

甲府市総合市民会館で「武田信玄公・生誕500年記念ー第6回甲冑展」が開催されていたので立ち寄ってみました。

【甲冑を手作り】

実際ところ“甲冑”といっても厚紙、段ボール、プラスチック等に布を張り付けたり紐を組み込んだりして作り上げた甲冑なんです。ところがその完成度の高さにてっきり本物の甲冑かと思ってしまいました。
製作したのは「甲斐手づくり甲冑の会」の皆さま。これまでも日本の甲冑の素晴らしさを広めようとこれらの甲冑をまとい、県内のイベントや祭りに参加し盛り上げているようです。
子供用の小さな甲冑もあるのでイベントで身につけた子供達は大喜びすること間違いなしでしょう。

山県昌景の赤備え
真田氏の家紋六文銭が兜に
ピンク色の甲冑も!
右の小さいのは子供用!?
小型版の甲冑。飾って置くのにちょうどいいサイズ

「第6回甲冑展」は6月7日(月)まで甲府市総合市民会館1Fで開催中。
 関係サイト:甲府市総合市民会館イベント情報
         http://www.aluty.com/calender/

甲府観光ツアー専門.
カテゴリー
その他 観光情報

山梨の伝統工芸“甲州印伝”の歴史と文化を伝える「印傳博物館」。今、世界へと羽ばたく!

【印伝をご存知?】

“印伝をご存知?”と見出しで書きましたが、実際にどうなのでしょう?
我々山梨県民からすると甲州印伝を知らない人はいない、と言って過言ではないでしょう。山梨のサラリーマンは名刺入れとして印伝を使っている率が高い、と勝手に私は思っています。(これまで見て来た限りでは)
当然、県外の有名デパート他、直営店などもあって全国で販売されています。
ただ、昔のイメージだと“印伝は年配の人が持つもの”といった感がありました。
それが最近では新しい色、デザイン、カテゴリーなど目新しいものが続々出ているんです。

【鹿革に漆で模様をつけた技法】

印伝の言葉の由来は、印度伝来(インドでんらい)の略称?諸説あるようですが、戦国時代には鎧や兜にも印伝が使われていたようです。丈夫なうえに柔らかく強度があるため重宝されたそう。江戸時代になって巾着やタバコ入れとして庶民の間でも粋なものとして流行ったようです。
山梨は鹿革も漆も産出される好条件がそろっていて伝統工芸として発展してきたとのことです。

【印伝の歴史を伝える“印傳博物館”】

甲府市の印傳屋本店2Fに「印傳博物館」があります。広いスペースではないのですが印伝の歴史やこれまでの代表作が展示されていて、また特別催事として私が訪れた時は「鹿革の財布 〜銭入あれこれ〜」と題して昔の財布などが展示されていました。なかなかこういったものを見る機会がないのでとても新鮮でした。

印伝の製造過程などビデオで紹介
歴代に代表作が並ぶ
甲州印伝の歩みが紹介されているパネル

印伝博物館…甲府市中央3丁目11ー15
ホームページ:https://www.inden-museum.jp/info/

甲府観光ツアー専門.