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昇仙峡に誕生した魅力ある施設 “はちみつファーム” オリジナルの生はちみつを堪能

ハチミツの魅力を前面に打ち出した期待大の新施設

甲府市の「昇仙峡」といえば国の特別名勝に指定された「日本一の渓谷美」を誇る観光スポットです。長い時をかけ出来上がった断崖に圧倒され、又そこかしこにある奇岩、奇石には自然の不思議さを感じてしまいます。

その「昇仙峡」に2023年7月にオープンした「はちみつファーム」。昇仙峡付近では養蜂を行なっている業者や個人は比較的多く、そこで採れるハチミツ、また県産のハチミツを使用した通称「生はちみつ」を販売しています。
またなんと「はちみつファーム」の建物裏に実際の養蜂場があり、ハチミツを採取する様子を見学できるのです。

窓の外に箱らしきものが見えるが・・・
まさに養蜂場が建物裏にあります

さらに、今後の予定として「ハチミツ採取体験」や蜂蜜分離器にかける「ハチミツ絞り体験」も行なっていくとのこと。
なかなか日常では味わえない養蜂体験ができるというのだからますます期待が膨れます。

中央に置かれた生ハチミツ
いろいろな生ハチミツがあります
これが「ハチミツ分離器」
本物の養蜂の巣箱
生はちみつの紹介ボード
養蜂箱が展示されています

店内では、はちみつソフト、はちみつレモンソーダー、はちみつレモネード等も販売しているので、仙娥滝から断崖・奇岩・奇石を徒歩で見学した後にここ「はちみつファーム」ではちみつ入りのソフトやソーダーで喉を潤せば、まさに至福の時を味わえるでしょう。(実際にソーダーをいただきましたが、信じられないくらい美味しかったです)

はちみつファーム
  甲府市竹日向町852−1 県営無料駐車場向かい
  甲府駅南口から「昇仙峡滝上」行き約40分 
  「グリーンライン昇仙峡」バス停下車徒歩すぐ
https://morinoeki.com/honey/

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450年ぶりに高野山から甲府・つつじが崎に戻った信玄公の遺産 十五童子像と五鈷鈴

高野山、それはあの弘法大師空海が嵯峨天皇から用地をいただき、真言密教の聖地として切り拓いた山です。
ここに450年前、信玄公が亡くなった折、息子勝頼は信玄公愛用であったと言われる「弁財天大黒毘沙門天十五童子像」、「五鈷鈴(ごこれい)」を奉納したのです。
この二つの奉納品が今回、武田神社前の「信玄ミュージアム」で展示中とのこと、拝見しに行ってきました。

弁財天大黒毘沙門天十五童子像
五鈷鈴

多分そうだろうと思っていましたが、写真撮影禁止でした。
残念…!いただいたチラシで掲載します。

「弁財天大黒毘沙門天十五童子像」は高さ16センチ程の厨子の中に弁財天を中心にして、周囲に大黒天、毘沙門天、十五童子が配置されているもので、驚くほど精巧に造られていてビックリです。信玄の枕本尊とも言い伝えられているので、信仰心のあつかった信玄が常にそばに置いて礼拝したものかもしれません。

五鈷鈴は仏具の鈴ですが、持ち手の先端部分は尖っていて、また蓮華文様等が緻密な作りに仕上げられていて、小さいながらも豪華さも兼ね備えた鈴です。この鈴の音はあまりに美しいため“松虫の鈴」と呼ばれるそうです。

これらは通常は高野山成慶院に所蔵されているとのことで、なかなか見に行くことができないので貴重な機会でした。

ところで信玄公のお墓というと菩提寺である甲州市「恵林寺」ですが、高野山にもお墓があるのを知っていますか。
高野山奥之院の参道に「武田信玄公・勝頼墓所」があります。ここには有名な戦国武将の墓があります。信玄公・勝頼墓所のすぐ向かいには上杉謙信の墓所、その他に織田信長、豊臣秀吉、明智光秀、伊達政宗等々、名だたる武将の墓所が揃っています。
なぜかというと、諸説あるようですが一説にはお釈迦さま入滅後、53億7千万年後に弥勒菩薩(みろくぼさつ)が救世仏となってこの世に現れると言われていて、その際に空海も一緒に下生(げしょう)し説法をする。その一ヶ所が高野山であるため、戦国武将たちもその時を参道で待っているとのことです。
お釈迦様が入滅してから2500余年しか経っていませんのでまだまだ先は長いですね。

信玄ミュージアムに高野山の墓所の写真があったので撮影してきました。見づらいですが左の大きい五輪塔が信玄、右の小さい方が勝頼だそうです。

※この企画展は2023年7月31日まで開催しています。

信玄ミュージアム
  甲府市大手三丁目1−14
JR中央線甲府駅(北口)からバスで約10分(武田神社下車すぐ)
ホームページ:https://www.city.kofu.yamanashi.jp/rekishi_bunkazai/kofu-takedashirekishikan.html

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甲斐国鎮守の神とされてきた「甲斐奈神社」 白山大神、浅間大神を祀る歴史ある神社

「金手」(かねんて)という名前の由来は?

甲府駅から東側、JR身延線の金手(かねんて)駅近くに、甲斐奈神社があります。国道411号線で東から甲府中心に向かってくるとクランクしている所です。
そもそもこのクランクは江戸時代にできました。ここから城下町に入るという合図であり、また当然見通しが悪くなるので敵が攻めてきた場合に防御する役割もあります。
金手(かねんて)というのは旧町名でこのクランクが名前の由来です。大工さんが使う物差し「曲尺(かねじゃく)」に形が似ているところから曲尺→金尺→金手と変化していったといわれています。実際日本各地の城下町だった都市にはこのようなクランクはみられ、曲尺手(かねんて)という地名で残っていたりもします。

甲府東部のクランク
大工さんが使う曲尺(イメージ)

『延喜式』神名帳にも載る、甲府城を守る東部守護神

甲斐奈神社は元々は甲府駅から見てすぐ北東部にある愛宕山にありました。当時は“甲斐奈山”と呼ばれていたらしく、神社名の由来なのかと思われます。白山神社を祀るもので、延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)にも記載されているので古くからある、“老舗”の神社といえます。この延喜式神名帳は927年(延喜5年)当時に「官社」に指定されていた全国の神社の一覧です。山梨県内では甲斐奈神社を含め20社が数えられています。

拝殿
大国主大神の石像
甲斐奈神社の説明案内
境内末社の数もたくさん

甲斐奈神社の主祭神は白山大神(ククリヒメノミコト)と浅間大神(コノハナサクヤヒメノミコト)です。
元々は甲斐奈山(現愛宕山)に白山大神を祀ることに始まり、1519年に武田信玄の父、信虎が居館をつつじが崎に移すにあたって、現在の場所に移したようです。
その後1590年代に甲府城を築城する際、浅間大神を併祀して甲府城の東部守護神となりました。

綺麗に整備された境内は落ち着き感があり

道路から階段を上ると正面に社殿がありますが、左側に目をやるとちょっとした緑の草木とその間を通り抜けることができる小道が配置されていて趣があるとともに心に落ち着きを与えてくれます。またその奥には境内末社が数多く立ち並んでいて圧巻です。あらゆる事に神様の御加護がいただける、そんな感じがします。

緑地エリアが境内の一部に配置されている
境内末社入口。奥に見えるは延命長寿社
様々な境内末社が並んでいる
緑の中に赤い鳥居が映える

甲斐奈神社前の“通り名”について

この甲斐奈神社前を東西にはしる道路は「甲斐奈通り」と呼ばれています。神社名が通りの名前になったようですが、その昔は「山田町通り」といわれていました。これ「やまだまち」と読んじゃいますよね。実は「ようだまち」と読みます。
この町名になったのは柳沢吉里が甲斐の領主になる際(1709年)に、それまでは「伊勢町」といわれていたのを「山田町」に変えた経緯があったようです。
一説には、吉里は伊勢守(いせのかみ)だったので同じ名前では失礼だということで変更したようですが・・・

甲斐奈通りの標識

甲斐奈神社
  甲府市中央3丁目7−11
JR身延線金手駅から徒歩2分
ホームページ:https://www.kainajinja.com/

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甲府の街中でクラフトビールを堪能。週末は早い時間から楽しめる「ペルソナブルワリー」

居心地良く、1人でも気軽にクラフトビールを味わえる。

甲府駅北口を出て朝日通りを西に入ると「ペルソナブルワリー」があります。駅から徒歩10分ほど。気軽にクラフトビールを楽しめるのがうれしい。木の壁からビールサーバーのコックがいくつも出ていて、店の奥には醸造タンクもあり気分も高揚してきます。

壁面から出ているビールサーバーコック
店の奥には醸造タンクが見える。

ビールもオーソドックスなものから、独特の味わいのビールまであり、最初に飲んだのは「二の堀アンバー」。とても飲みやすく最初の一杯にぴったりなビールでした。(個人の感想)
ニの堀というのはちょうどこのお店がある場所が甲府城のニの堀に当たる場所にあるため名付けたのでしょう。
城好きな私は真っ先に注文しました。

二の堀アンバー
シトラの週末 Neo
真夜中のペルソナ

2杯目は「シトラの週末 Neo」というビールにしてみました。このビールにはビックリ。今まで飲んだことがない味というか風味というか、不思議な感じ。おそらく「シトラホップをたっぷり使った・・・」と説明があったのでホップの香りが強くのどに残る感じでした。(個人の感想)

3杯目は黒ビールが飲みたくなって「真夜中のペルソナ」を頼みました。これはとても飲みやすく仕上がっていて黒ビールが苦手な人でも飲みやすく、また黒ビール好きの人も納得の味ではないでしょうか。(個人の感想)

カウンターに置かれたビールの本

気取らずに純粋にビールを楽しめるお店です。おつまみは今回はミックスナッツしか頼みませんでしたが、カレーやソーセージなど腹にたまる料理もありました。
ここで腰を据えて思いっきり飲んでもいいし、早い時間に行って軽く飲んでもいいし、その時の状況に合わせて楽しめるクラフトビール店です。

甲府駅に近いが、落ち着き感がある。
店外にもテーブル席あり

ペルソナブルワリー: https://www.instagram.com/personabrewery/
 甲府市朝日2丁目18−4
甲府駅北口から徒歩10分

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つつじが崎の館の北に位置する「積翠寺」。信玄公生誕の地との言い伝えもある寺。

行基が開山の古刹。臨済宗妙心寺派の積翠寺

武田3代の城「つつじが崎の館」。その北側3kmほど行ったところにこの「積翠寺」があります。もともとは「石水寺」と呼ばれていたそうです。その理由は、境内の大きな石から泉が湧き出たからというから興味深いですね。
開山は行基だというので飛鳥・奈良時代からの歴史があるお寺ということになります。後には夢窓国師(夢窓疎石)の弟子が中興し17世紀に現在の臨済宗妙心寺派に転じたようです。
こんなに歴史があるとは・・・、今まで気付かなかった・・・

なんとも歴史を感じさせる
 本堂屋根に付けられた武田菱が目を引く

今川勢との飯田河原合戦が始まる。

1521年に駿河勢(今川勢)が甲斐国へ侵攻し、ついに飯田河原で激突することになりました。飯田河原はつつじが崎から目と鼻の先とも言える距離。こんなところまで駿河勢が侵攻してきたとは切迫状態であったことでしょう。その数は5千〜1万5千と諸説ありますが、迎え撃った武田軍は2千というからその差は歴然。
武田信虎公は正室である大井夫人を館の北にある詰城として築かれた要害城へと避難させるのですが、その時身ごもっていたのが後の信玄だったのです。
この数的不利な状況でも信虎は地の利を生かし勝利することができたのです。

信玄公生誕の地とも言われる積翠寺

飯田河原合戦の勝利後、半月ほどして信玄が誕生したので信虎は大いに喜び「勝千代」と名付けたそうですが、積翠寺には本寺においてのちの信玄を出産したと言い伝えられていて、本堂裏にある井戸で産湯を汲んだと言われています。

産湯を汲んだ井戸
本堂裏にある庭園

寺宝として所蔵されている「積翠寺和漢連句」

和漢連句とは、五・七・五の和句と呼ばれる和歌と漢句と呼ばれる五言の漢詩を続けた連歌の一種だそうです。
信玄は1546年にこの寺で後奈良天皇の勅使として下向していた三条実澄らを迎えて和漢連句会を催し、その時の連句が今も残っているそうです。信玄は京都文化を積極的に取り入れ、武芸だけでなく文芸にも優れた人物であったことが分かります。

境内にあるお堂の石碑
信玄公像が安置されているお堂内

信玄公生誕の地は「要害城」であって積翠寺ではない、という説もあり真実は分かりませんが、今なお武田家の面影を大きく残す寺院の一つであることは間違いありません。

機山武田信玄公誕生之寺

万松山積翠寺(ばんしょうざんせきすいじ)
  甲府市上積翠寺町984
JR中央線甲府駅北口からバス15分、「積翠寺」バス停下車徒歩約5分
ホームページ:https://kofu-tourism.com/spot/55

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いち早く春を告げる梅園「不老園」!甲府の春は不老園から始まる‼︎

今年も始まりました。梅の花が甲府に春を連れてくる!

2年ぶりに訪れた甲府に春の訪れを告げる「不老園」。この梅園が開園すると「春だな〜!」と感じます。実際は開園してから雪が降ったりすることもあるのですが・・・
南斜面に面したこの場所は日当たりが良いので梅の花が早く咲くのも納得です。2月1日に開園して3月下旬まで梅の花を楽しめます。

訪れたのは2月8日で当然満開ではありませんが、ポツン、ポツン咲いている状況でも逆に風情を感じるのは私だけ?
この日は暖かったせいか園内には思った以上に来園者がいました。残念ながらこの日は雲が多く富士山は望めませんでした。でも、陽だまりの中で梅の花を愛でるのはオツなものです。

割と咲いているなぁー
遠くの建物はシャトー酒折ワイナリー
手前の赤い梅の花がきれい

元々ここは、大正時代頃に個人の別荘であった場所とのこと。その当時の名残でしょうか、風情ある建物も園内にあります。
およそ二千本あると言われる梅の木に囲まれて春を迎えるのも最高でしょうね。

木々に囲まれていい感じ
縁側の前に咲く梅の木

梅園の中には神社(?)があります。梅の花に神社ときたらもう「天神様」と思うはず。まさしくその通り菅原道真公を祀っている「梅天神」です。梅=菅原道真公のイメージがあって、必ずあの歌を思い起こします。
 「東風吹かば匂ひをこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」

拝殿横にも梅の木がありますね
「梅天神」の額がかかっています

これから気温が上がれば梅の花もさらに咲き始めるでしょう。一足早い春を感じに「不老園」を訪れてみてはいかがでしょうか?

可愛いお地蔵さん
木彫りの狸像。頭の上に松ぼっくりが・・

不老園
  甲府市酒折3丁目4−3
JR中央線酒折駅から徒歩7分
ホームページ:http://www.furouen.jp/

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「一蓮寺」に伝わる宝物の数々!重要文化財をはじめ県・市指定文化財が期間限定公開!

釈迦三尊十八羅漢図

甲斐の中世以後の歴史を知ることができる貴重な宝物

一蓮寺については以前このブログで紹介しましたが、今回期間限定で所蔵する宝物が公開されるとのこと、喜び勇んで見学に行ってきました。
一蓮寺はこれまでも何回か訪れたことはあったのですが、どこに貴重な宝物殿があるのかは全く知りませんでした。
本堂の後方に小さいながら綺麗な造りで蔵のような建物があり、名称は「遊故館」というそうです。「ここにあったのかぁ!」と新たな発見に心を躍らせながら館内に入りました。

小さな空間に貴重な宝物がいくつも!

外観と同様に、館内も綺麗で狭いながら貴重な宝物がガラスケースの中に展示されています。まず目に入ったのは正面奥に飾られていた重要文化財「釈迦三尊十八羅漢図」です。(上部写真)
鎌倉時代のものということで非常に貴重な仏教芸術であることがヒシヒシと感じられます。
また「阿弥陀三尊来迎図」は鎌倉時代と室町時代の2つが並べて展示されていましたが、ほぼほぼ同じ構図でありながら室町時代の作品の方に妙に威厳を感じました。

手前が室町時代の「阿弥陀三尊来迎図」
鎌倉時代の「阿弥陀三尊来迎図」

また木造の「阿弥陀如来立像」も鎌倉時代からの歴史を感じさせるもので見ていると心が引き締まる感じです。

阿弥陀如来立像

知る人ぞ知る、あの「一蓮寺過去帳」が展示されています!

室町時代からの記録を残す「一蓮寺過去帳」

山梨の歴史を学習していると、甲斐国の歴史を語る上で重要な資料としてこの「一蓮寺過去帳」が出てきます。
今回の宝物展の一番の楽しみであったのがこの過去帳。実際に目にすることができました。

上記写真の右下には新羅三郎義光・・・・という記載も見られ、甲斐源氏の歴史の経過を見てとることができます。この過去帳でしか確認できない事柄もあるとのことで、山梨の歴史を探る上で非常に重要かつ貴重な資料となっています。
また、後醍醐天皇の勅額も見ることができ、有意義な時を過ごさせていただきました。

左:後醍醐天皇御宸筆扁額 「一蓮寺」 ※一は弌の字で記載
右:後村上天皇御宸筆扁額 「稲久山一條道場」

過去のブログ

https://hkpt.net/event/ichirenji/

一條道場稲久山一蓮寺
  甲府市太田町5-16
JR中央線甲府駅(南口)からバスで約10分(遊亀公園下車徒歩1分)
ホームページ:http://www.ichirenji.jp/

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「国衙八幡宮」、「府中八幡」、「甲斐総社八幡神社」へ 武田家の武運長久を祈願した神社の変遷

武田家の氏神となった八幡神社 その始まりは石和から

甲府駅から武田神社へ向かい、途中を東側に入った静かな場所に八幡神社があります。社殿の背後には小高い丘があり一説には古墳があったとも言われています。石柱には甲斐総社八幡神社と記されているので、ただならぬ感じがします。

八幡神社といえば源氏の守り神であるので当然武田家も氏神としてお祀りしました。その歴史の流れを見ると元は笛吹市にある「国衙八幡宮(現石和八幡宮)」が始まりでした。
甲斐国において最初に武田の姓を名乗った武田信義。その長男忠頼をはじめ甲斐源氏の勢力拡大を警戒した源頼朝によってことごとく殺されてしまった為、五男であった信光(石和五郎という)が武田家を継承することになりました。この信光が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請し「国衙(こくが)八幡宮」として石和に祀ったのが始まりです。

石和八幡宮

石和八幡宮は近年、火災により消失し新たに再建されたため見た目は新しいが歴史は古い神社です。
この時代は石和(及びその付近)が政治の中心地であったようで甲府(甲斐府中)が政治の中心になるのは武田信虎の時代を待つことになります。

府中八幡がつつじが崎館の西側に遷座

1519年に武田信虎が現在の武田神社がある、つつじが崎に館を移転するに伴い館西側に八幡宮を遷座、これが「府中八幡」といわれています。初代守護の信光の「国衙八幡宮」から信虎・信玄の時代の「府中八幡宮」を通して甲斐国総社八幡社として神社を統制する中心であったようです。国中の160の神社が2社ずつ交代で二日二夜、武田家の武運長久を祈願したとのことで、決してお祈りが途切れることがなかったと言われています。
現在この府中八幡宮は「古八幡」という名で残ってはおりますが、小学校の建設に伴って境内の敷地を市へ提供するなどし、今は地元自治会館の棟続きのお社に祀られているのですが、とても狭い一角にあるのでちょっと残念な気がします。もっと大々的に歴史遺産として残してもらいたい気がします。

古八幡が入る自治会館
左側に「峰本古八幡神社」と書かれている
右側のドアを開けて中に入る
古八幡神社

武田氏滅亡後、甲府城築城に伴い現在の場所に移転

現在の甲斐総社八幡神社は甲府市宮前町にあります。これは甲府城を築城した浅野長政(豊臣秀吉五奉行の一人)が遷座したものです。社殿の背後には古墳と言われている小高い丘があり、草が生い茂っていますが、上まで登ると大きな石がたくさんあり、ある意味神秘的な雰囲気があります。石の中には“かえる”によく似た石もありパワースポット的な場所とも言えるでしょう。
通常は地元の子供たちが広場で遊んだりする、地域に根ざした神社で一般的な参拝者はほとんで見かけることはありません。
鳥居をくぐった右側にある池の辺りには信玄公が曽我五郎の生まれ代わりだという「夢見山伝説」の案内もあります。

甲斐総社八幡神社の鳥居
社殿
通称“かえる石”と呼ばれる大きな石
鳥居をくぐってすぐ右手にある池

甲斐総社八幡神社・・・甲府市宮前町6−47
甲府駅北口から徒歩15分
ホームページ:https://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/1064  

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“甲府盆地湖水伝説”を今に残す、甲府の中心に鎮座する神社 穴切(あなぎり)大神社

甲府盆地が湖だった⁉︎その水を抜いた伝説が伝わる神社

甲府駅のすぐ南に位置する甲府城。この天守台に登ってみると四方八方を山に囲まれていているのがよくわかります。周辺の高台から見ればなおさら甲府が盆地であることをしみじみ感じることができるでしょう。
さて、この甲府盆地が“和銅年間“というから708〜715年、この頃はなんと、湖であったというのです。

甲府中心部からほど近い「夢見山」から甲府盆地と富士山を望む

当時、国司が見回りをしていて湖水の水を抜けば良い田んぼになるのでは?と考え、大己貴命(おおなむちのみこと)–大国主命(おおくにぬしのみこと)のこと– にお祈りし、盆地の南側を切り開いて湖水の水を富士川に流し込むことで、広大な田んぼを開墾できたというものです。その際に穴切明神として創建されたのがこの神社と言われています。

随神門(ずいじんもん)二層の楼門で1794年の建立とのこと
拝殿にかかる幕には武田家の家紋「武田菱」と八咫烏(やたがらす)が表されている
本殿は国重要文化財 一間社流造という形式で安土・桃山時代の作といわれる。

拝殿の横を通り裏手の本殿をみると立派な造りなのでびっくりしました。「一間社流造」(いっけんしゃながれづくり)という安土・桃山時代に造られた作のようです。側面から見ると前後に水が流れるような線をもっていることから流造といわれるとのこと。

神楽殿 結構立派なつくり
(左)塩釜社  (右)道祖神社

湖水伝説にはいくつか説があるのですが、この付近からは縄文土器も発掘されているので、古くから人が生活していたことがわかっており、したがってこういった伝説も多く残っているのではないでしょうか。
実際のところ、湖水だったのは何万年も前のことでしょうが、こういった伝説が甲府の中心に言い伝えられているのは面白いことですね。
小さい神社ですが、歴史と趣をひしひしと感じられる街中の神社です。

穴切大神社…甲府市宝2−8−5
甲府駅から徒歩15分程
ホームページ:http://www.anagiridaijinja.jp/

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武田家3代の詰城「要害城」 戦国期の山城の様相を今に伝える天然の要害 

要害城跡が残る要害山

つつじが崎の居館とセットで築かれた詰城

武田信虎がつつじが崎に居館を築いたのは1519年。翌年1520年に居館から北へ3キロ程行った所に危急の際に立て篭もる為の詰城として築かれたのが「要害城」です。
この頃は駿河の今川勢が頻繁に甲斐国へ侵攻してきた時期で、1521年には「飯田河原の戦い」があったといわれており、まさに現在の甲府の中心部から西へ2キロほどいったところまで攻め込まれたことになります。今川勢福島正成が率いる1万5千人の大軍を信虎は2千余人でこの戦に勝利したといわれています。
その戦いの最中に要害城で武田信玄が誕生しました。

要害城跡の主郭にある石碑。「武田信玄公誕生之地」と刻まれています。

主郭までは30分ほどで登ることができます。入口には「史跡 要害山」の石碑がありマップや説明文があります。

登山道入口に建つ石碑
いよいよ要害山の中へ入っていきます
史跡境界の杭
案内看板が有難い
曲輪跡
不動曲輪⁉︎
これは見事なお不動さん
やっとこさ主郭部分へ到着
信玄公誕生の石碑横にある山梨百名山の証

曇り空でしたが蒸し暑い日だったので、けっこう汗をかきました。主郭部は広くて創造していた感じでした。たまたま木々の間から遠くの景色を見ようとしたら、「おっと、富士山だ!」

主郭部から見る富士山

まさか富士山が見えるとは思っていなかったのでちょっと感動。
500年前も同じように富士山を望むことできたことでしょう。

門跡の石垣
野面積み?

本丸跡が770mなので気軽に登ることができると言えますが、途中それなりに険しい部分もあるので足腰に自信のない方は無理しない方がいいかもしれません。
また今回はうっかり、“諏訪水”といわれる井戸跡を身損ねてしまったのが残念!次の機会に!

要害山 
 甲府市上積翠寺町984
 甲府駅北口からバスで15分
 ホームページhttps://kofu-tourism.com/spot/54

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