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北杜市台ヶ原にある本格レストラン「臺眠(だいみん)」 酒蔵「七賢」見学と合わせて楽しみたい。

歴史を感じる雰囲気ある建物でいただくランチ

北杜市白州町の台ヶ原。国道20号線からそれた旧甲州街道の宿場町として賑わった場所で、今なお当時の雰囲気を残すレトロ感に満ちたエリアです。その一角にある趣あるレストラン臺眠(だいみん)はノスタルジックな建物で食す前から自然と期待が盛り上がります。
2階へと階段を上がると思ったより広い室内で、落ち着き感もあってゆっくり食事を楽しめます。

甲州豚の塩糀づけ焼き定食

臺眠ビーフ定食

麦とろ定食

私は「甲州豚の塩糀づけ焼き定食」を食べたのですが、糀(こうじ)が効いていて美味しく、さらにワサビを付けて食べるとより一層美味さが増しました。またけんちん汁(?)がとても美味しかったです。

このレストランは隣にある酒蔵「七賢」(山梨銘醸)の直営ですので、七賢の見学も合わせて行きました。
昔からの旧家で何と明治天皇が宿泊したこともある「行在所」(あんざいしょ)で、300円で見学することができます。
室内から見る庭もまた風情があって素晴らしいのひとこと。

七賢は山梨県でも超有名な酒蔵です。もちろん帰りには日本酒を買って帰りました。
以前にも来たことはあったのですが、その時より施設内の空いたスペースをうまく活用してゆっくり休憩できる喫茶スペースに仕上げてあって、のんびりとしたひと時を過ごせます。


酒蔵特有の大きなスギ玉が吊るされています。

昔、搬入時に使用したトロッコのレールがあります

構内にある弁財天

御神木と石碑。麹菌、酵母菌の塚のようです

「くらかふぇ」ではかき氷なども販売。糀を使っているようです。

ショーケースに飾られた日本酒の瓶

臺眠(だいみん)「七賢」直営レストラン・カフェ
  山梨県北杜市白州町台ヶ原2287
ホームページhttps://www.sake-shichiken.co.jp/kura/

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昇仙峡に誕生した魅力ある施設 “はちみつファーム” オリジナルの生はちみつを堪能

ハチミツの魅力を前面に打ち出した期待大の新施設

甲府市の「昇仙峡」といえば国の特別名勝に指定された「日本一の渓谷美」を誇る観光スポットです。長い時をかけ出来上がった断崖に圧倒され、又そこかしこにある奇岩、奇石には自然の不思議さを感じてしまいます。

その「昇仙峡」に2023年7月にオープンした「はちみつファーム」。昇仙峡付近では養蜂を行なっている業者や個人は比較的多く、そこで採れるハチミツ、また県産のハチミツを使用した通称「生はちみつ」を販売しています。
またなんと「はちみつファーム」の建物裏に実際の養蜂場があり、ハチミツを採取する様子を見学できるのです。

窓の外に箱らしきものが見えるが・・・
まさに養蜂場が建物裏にあります

さらに、今後の予定として「ハチミツ採取体験」や蜂蜜分離器にかける「ハチミツ絞り体験」も行なっていくとのこと。
なかなか日常では味わえない養蜂体験ができるというのだからますます期待が膨れます。

中央に置かれた生ハチミツ
いろいろな生ハチミツがあります
これが「ハチミツ分離器」
本物の養蜂の巣箱
生はちみつの紹介ボード
養蜂箱が展示されています

店内では、はちみつソフト、はちみつレモンソーダー、はちみつレモネード等も販売しているので、仙娥滝から断崖・奇岩・奇石を徒歩で見学した後にここ「はちみつファーム」ではちみつ入りのソフトやソーダーで喉を潤せば、まさに至福の時を味わえるでしょう。(実際にソーダーをいただきましたが、信じられないくらい美味しかったです)

はちみつファーム
  甲府市竹日向町852−1 県営無料駐車場向かい
  甲府駅南口から「昇仙峡滝上」行き約40分 
  「グリーンライン昇仙峡」バス停下車徒歩すぐ
https://morinoeki.com/honey/

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450年ぶりに高野山から甲府・つつじが崎に戻った信玄公の遺産 十五童子像と五鈷鈴

高野山、それはあの弘法大師空海が嵯峨天皇から用地をいただき、真言密教の聖地として切り拓いた山です。
ここに450年前、信玄公が亡くなった折、息子勝頼は信玄公愛用であったと言われる「弁財天大黒毘沙門天十五童子像」、「五鈷鈴(ごこれい)」を奉納したのです。
この二つの奉納品が今回、武田神社前の「信玄ミュージアム」で展示中とのこと、拝見しに行ってきました。

弁財天大黒毘沙門天十五童子像
五鈷鈴

多分そうだろうと思っていましたが、写真撮影禁止でした。
残念…!いただいたチラシで掲載します。

「弁財天大黒毘沙門天十五童子像」は高さ16センチ程の厨子の中に弁財天を中心にして、周囲に大黒天、毘沙門天、十五童子が配置されているもので、驚くほど精巧に造られていてビックリです。信玄の枕本尊とも言い伝えられているので、信仰心のあつかった信玄が常にそばに置いて礼拝したものかもしれません。

五鈷鈴は仏具の鈴ですが、持ち手の先端部分は尖っていて、また蓮華文様等が緻密な作りに仕上げられていて、小さいながらも豪華さも兼ね備えた鈴です。この鈴の音はあまりに美しいため“松虫の鈴」と呼ばれるそうです。

これらは通常は高野山成慶院に所蔵されているとのことで、なかなか見に行くことができないので貴重な機会でした。

ところで信玄公のお墓というと菩提寺である甲州市「恵林寺」ですが、高野山にもお墓があるのを知っていますか。
高野山奥之院の参道に「武田信玄公・勝頼墓所」があります。ここには有名な戦国武将の墓があります。信玄公・勝頼墓所のすぐ向かいには上杉謙信の墓所、その他に織田信長、豊臣秀吉、明智光秀、伊達政宗等々、名だたる武将の墓所が揃っています。
なぜかというと、諸説あるようですが一説にはお釈迦さま入滅後、53億7千万年後に弥勒菩薩(みろくぼさつ)が救世仏となってこの世に現れると言われていて、その際に空海も一緒に下生(げしょう)し説法をする。その一ヶ所が高野山であるため、戦国武将たちもその時を参道で待っているとのことです。
お釈迦様が入滅してから2500余年しか経っていませんのでまだまだ先は長いですね。

信玄ミュージアムに高野山の墓所の写真があったので撮影してきました。見づらいですが左の大きい五輪塔が信玄、右の小さい方が勝頼だそうです。

※この企画展は2023年7月31日まで開催しています。

信玄ミュージアム
  甲府市大手三丁目1−14
JR中央線甲府駅(北口)からバスで約10分(武田神社下車すぐ)
ホームページ:https://www.city.kofu.yamanashi.jp/rekishi_bunkazai/kofu-takedashirekishikan.html

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甲斐国鎮守の神とされてきた「甲斐奈神社」 白山大神、浅間大神を祀る歴史ある神社

「金手」(かねんて)という名前の由来は?

甲府駅から東側、JR身延線の金手(かねんて)駅近くに、甲斐奈神社があります。国道411号線で東から甲府中心に向かってくるとクランクしている所です。
そもそもこのクランクは江戸時代にできました。ここから城下町に入るという合図であり、また当然見通しが悪くなるので敵が攻めてきた場合に防御する役割もあります。
金手(かねんて)というのは旧町名でこのクランクが名前の由来です。大工さんが使う物差し「曲尺(かねじゃく)」に形が似ているところから曲尺→金尺→金手と変化していったといわれています。実際日本各地の城下町だった都市にはこのようなクランクはみられ、曲尺手(かねんて)という地名で残っていたりもします。

甲府東部のクランク
大工さんが使う曲尺(イメージ)

『延喜式』神名帳にも載る、甲府城を守る東部守護神

甲斐奈神社は元々は甲府駅から見てすぐ北東部にある愛宕山にありました。当時は“甲斐奈山”と呼ばれていたらしく、神社名の由来なのかと思われます。白山神社を祀るもので、延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)にも記載されているので古くからある、“老舗”の神社といえます。この延喜式神名帳は927年(延喜5年)当時に「官社」に指定されていた全国の神社の一覧です。山梨県内では甲斐奈神社を含め20社が数えられています。

拝殿
大国主大神の石像
甲斐奈神社の説明案内
境内末社の数もたくさん

甲斐奈神社の主祭神は白山大神(ククリヒメノミコト)と浅間大神(コノハナサクヤヒメノミコト)です。
元々は甲斐奈山(現愛宕山)に白山大神を祀ることに始まり、1519年に武田信玄の父、信虎が居館をつつじが崎に移すにあたって、現在の場所に移したようです。
その後1590年代に甲府城を築城する際、浅間大神を併祀して甲府城の東部守護神となりました。

綺麗に整備された境内は落ち着き感があり

道路から階段を上ると正面に社殿がありますが、左側に目をやるとちょっとした緑の草木とその間を通り抜けることができる小道が配置されていて趣があるとともに心に落ち着きを与えてくれます。またその奥には境内末社が数多く立ち並んでいて圧巻です。あらゆる事に神様の御加護がいただける、そんな感じがします。

緑地エリアが境内の一部に配置されている
境内末社入口。奥に見えるは延命長寿社
様々な境内末社が並んでいる
緑の中に赤い鳥居が映える

甲斐奈神社前の“通り名”について

この甲斐奈神社前を東西にはしる道路は「甲斐奈通り」と呼ばれています。神社名が通りの名前になったようですが、その昔は「山田町通り」といわれていました。これ「やまだまち」と読んじゃいますよね。実は「ようだまち」と読みます。
この町名になったのは柳沢吉里が甲斐の領主になる際(1709年)に、それまでは「伊勢町」といわれていたのを「山田町」に変えた経緯があったようです。
一説には、吉里は伊勢守(いせのかみ)だったので同じ名前では失礼だということで変更したようですが・・・

甲斐奈通りの標識

甲斐奈神社
  甲府市中央3丁目7−11
JR身延線金手駅から徒歩2分
ホームページ:https://www.kainajinja.com/

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甲府の街中でクラフトビールを堪能。週末は早い時間から楽しめる「ペルソナブルワリー」

居心地良く、1人でも気軽にクラフトビールを味わえる。

甲府駅北口を出て朝日通りを西に入ると「ペルソナブルワリー」があります。駅から徒歩10分ほど。気軽にクラフトビールを楽しめるのがうれしい。木の壁からビールサーバーのコックがいくつも出ていて、店の奥には醸造タンクもあり気分も高揚してきます。

壁面から出ているビールサーバーコック
店の奥には醸造タンクが見える。

ビールもオーソドックスなものから、独特の味わいのビールまであり、最初に飲んだのは「二の堀アンバー」。とても飲みやすく最初の一杯にぴったりなビールでした。(個人の感想)
ニの堀というのはちょうどこのお店がある場所が甲府城のニの堀に当たる場所にあるため名付けたのでしょう。
城好きな私は真っ先に注文しました。

二の堀アンバー
シトラの週末 Neo
真夜中のペルソナ

2杯目は「シトラの週末 Neo」というビールにしてみました。このビールにはビックリ。今まで飲んだことがない味というか風味というか、不思議な感じ。おそらく「シトラホップをたっぷり使った・・・」と説明があったのでホップの香りが強くのどに残る感じでした。(個人の感想)

3杯目は黒ビールが飲みたくなって「真夜中のペルソナ」を頼みました。これはとても飲みやすく仕上がっていて黒ビールが苦手な人でも飲みやすく、また黒ビール好きの人も納得の味ではないでしょうか。(個人の感想)

カウンターに置かれたビールの本

気取らずに純粋にビールを楽しめるお店です。おつまみは今回はミックスナッツしか頼みませんでしたが、カレーやソーセージなど腹にたまる料理もありました。
ここで腰を据えて思いっきり飲んでもいいし、早い時間に行って軽く飲んでもいいし、その時の状況に合わせて楽しめるクラフトビール店です。

甲府駅に近いが、落ち着き感がある。
店外にもテーブル席あり

ペルソナブルワリー: https://www.instagram.com/personabrewery/
 甲府市朝日2丁目18−4
甲府駅北口から徒歩10分

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北杜市の山間にオープンしたカフェ「百番珈琲」。開放的な空間で本格コーヒーと手作りケーキを楽しむ!

2022年12月にオープンした雰囲気の良いカフェ

北杜市須玉町を清里方面へ車で向かうとき、普通は国道141号を北上するのですが、一本東側に逸れた山間の道を走っている時に集落の中に突如と現れたカフェに思わず車を止め、立ち寄りました。店名は「百番珈琲」。見た感じは商店だった建物を改造したようですが、とても趣があって魅力を感じました。

大きな軒があって外でも飲食可能

テーブル類も趣あり。店内は開放的。

天気の良い日は店外の席でも自然を感じながら本格コーヒーを味わうことができる上に、店内も古民家風の心地よい雰囲気を味わいながら満喫できます。なにしろ店内スペースが広いので堅苦しくなく過ごせるのが魅力でしょう。

一枚板のテーブル。飾られた花が綺麗。
イラストレーターが作った絵葉書もあり。

店内にはいたる所に花が飾られ、天井から吊るされた照明器具が効果的に光を当てているので気分も盛り上がります。

アイスカフェオレと「米粉とバナナのパウンドケーキ」をいただきました。

訪れた日の朝、焙煎作業をしていたとのことで香ばしいコーヒーの香りが店内に漂っていて一層味を引き立てくれました。
また店内には本格的な暖炉も設置されていて冬でも暖かく過ごせそうです。

店内の一角に焙煎室があります。
暖炉があるので冬でも暖かそう。

清里方面にはしばしば行くことがあるので、また訪れたいと思います。皆さんも機会あれば是非どうぞ。

P.S. 仕事仲間に手土産でテイクアウトしたルバーブ入りのケーキが美味しいと好評でした。

鹿の頭蓋骨⁈店内にも鹿のはく製が壁に!
テイクアウトで購入したルバーブのケーキ

住所:山梨県北杜市須玉町上津金782
店名:百番珈琲 https://hyakubancoffee.com/

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つつじが崎の館の北に位置する「積翠寺」。信玄公生誕の地との言い伝えもある寺。

行基が開山の古刹。臨済宗妙心寺派の積翠寺

武田3代の城「つつじが崎の館」。その北側3kmほど行ったところにこの「積翠寺」があります。もともとは「石水寺」と呼ばれていたそうです。その理由は、境内の大きな石から泉が湧き出たからというから興味深いですね。
開山は行基だというので飛鳥・奈良時代からの歴史があるお寺ということになります。後には夢窓国師(夢窓疎石)の弟子が中興し17世紀に現在の臨済宗妙心寺派に転じたようです。
こんなに歴史があるとは・・・、今まで気付かなかった・・・

なんとも歴史を感じさせる
 本堂屋根に付けられた武田菱が目を引く

今川勢との飯田河原合戦が始まる。

1521年に駿河勢(今川勢)が甲斐国へ侵攻し、ついに飯田河原で激突することになりました。飯田河原はつつじが崎から目と鼻の先とも言える距離。こんなところまで駿河勢が侵攻してきたとは切迫状態であったことでしょう。その数は5千〜1万5千と諸説ありますが、迎え撃った武田軍は2千というからその差は歴然。
武田信虎公は正室である大井夫人を館の北にある詰城として築かれた要害城へと避難させるのですが、その時身ごもっていたのが後の信玄だったのです。
この数的不利な状況でも信虎は地の利を生かし勝利することができたのです。

信玄公生誕の地とも言われる積翠寺

飯田河原合戦の勝利後、半月ほどして信玄が誕生したので信虎は大いに喜び「勝千代」と名付けたそうですが、積翠寺には本寺においてのちの信玄を出産したと言い伝えられていて、本堂裏にある井戸で産湯を汲んだと言われています。

産湯を汲んだ井戸
本堂裏にある庭園

寺宝として所蔵されている「積翠寺和漢連句」

和漢連句とは、五・七・五の和句と呼ばれる和歌と漢句と呼ばれる五言の漢詩を続けた連歌の一種だそうです。
信玄は1546年にこの寺で後奈良天皇の勅使として下向していた三条実澄らを迎えて和漢連句会を催し、その時の連句が今も残っているそうです。信玄は京都文化を積極的に取り入れ、武芸だけでなく文芸にも優れた人物であったことが分かります。

境内にあるお堂の石碑
信玄公像が安置されているお堂内

信玄公生誕の地は「要害城」であって積翠寺ではない、という説もあり真実は分かりませんが、今なお武田家の面影を大きく残す寺院の一つであることは間違いありません。

機山武田信玄公誕生之寺

万松山積翠寺(ばんしょうざんせきすいじ)
  甲府市上積翠寺町984
JR中央線甲府駅北口からバス15分、「積翠寺」バス停下車徒歩約5分
ホームページ:https://kofu-tourism.com/spot/55

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いち早く春を告げる梅園「不老園」!甲府の春は不老園から始まる‼︎

今年も始まりました。梅の花が甲府に春を連れてくる!

2年ぶりに訪れた甲府に春の訪れを告げる「不老園」。この梅園が開園すると「春だな〜!」と感じます。実際は開園してから雪が降ったりすることもあるのですが・・・
南斜面に面したこの場所は日当たりが良いので梅の花が早く咲くのも納得です。2月1日に開園して3月下旬まで梅の花を楽しめます。

訪れたのは2月8日で当然満開ではありませんが、ポツン、ポツン咲いている状況でも逆に風情を感じるのは私だけ?
この日は暖かったせいか園内には思った以上に来園者がいました。残念ながらこの日は雲が多く富士山は望めませんでした。でも、陽だまりの中で梅の花を愛でるのはオツなものです。

割と咲いているなぁー
遠くの建物はシャトー酒折ワイナリー
手前の赤い梅の花がきれい

元々ここは、大正時代頃に個人の別荘であった場所とのこと。その当時の名残でしょうか、風情ある建物も園内にあります。
およそ二千本あると言われる梅の木に囲まれて春を迎えるのも最高でしょうね。

木々に囲まれていい感じ
縁側の前に咲く梅の木

梅園の中には神社(?)があります。梅の花に神社ときたらもう「天神様」と思うはず。まさしくその通り菅原道真公を祀っている「梅天神」です。梅=菅原道真公のイメージがあって、必ずあの歌を思い起こします。
 「東風吹かば匂ひをこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」

拝殿横にも梅の木がありますね
「梅天神」の額がかかっています

これから気温が上がれば梅の花もさらに咲き始めるでしょう。一足早い春を感じに「不老園」を訪れてみてはいかがでしょうか?

可愛いお地蔵さん
木彫りの狸像。頭の上に松ぼっくりが・・

不老園
  甲府市酒折3丁目4−3
JR中央線酒折駅から徒歩7分
ホームページ:http://www.furouen.jp/

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甲斐・武田氏の歴史発見 笛吹市石和町にある「成就院」その歴史は甲斐源氏始まりに遡る!

武田信重の菩提寺であり、政治の中心地であった!

甲府市の東に隣接する笛吹市石和町。この地は武田信虎(信玄の父)が甲府・つつじが崎に館を移す前までは政治の中心地であったといわれています。
つつじが崎に館を移す前は現在の甲府市川田町(ここも石和町に隣接していますが)に館がありました。
現在はぶどう畑になっていますが、当時の面影を残す石積みを見ることができます。

川田館跡

これ以前、いわゆる中世にかけて武田信重が甲斐守護(信玄の5代前)であった際、居館を置いたのが石和町小石和というところで現在は「六角山成就院」という浄土宗の寺となっています。
この寺は信重の子、武田信守が父の菩提を弔う為に既存の荒廃した寺を改宗し、寺号も現在のものにし庇護したそうです。

では、元々あった“荒廃した寺”というのが、また興味深い話が残っていて、甲斐源氏は源義清とその息子である清光が1130年に入国し歴史が始まっていくのですが、この息子の清光が開基した真言宗寺院であって、寺号を「清光院」といったそうです。
清光は八ヶ岳南麓の逸見(へみ)を本拠地としていたので石和に寺を開基したというのは不思議な感じがしないでもないのですが・・・。この寺を改宗したのが武田信守ということのなります。

武田信重の墓
成就院の案内看板

武田信玄の時代に甲府へ!

武田信玄は居城である甲府のつつじが崎城下にこの成就院を移し信玄の正室である三条夫人の菩提寺とし法名にあわせ「円光院」と寺号を改称し臨済宗「甲府五山」としたのでした。
笛吹市石和町に残る成就院は少し前までは正直、寂れた感がありましたが現在は改修工事が終わり、武田家の歴史を垣間見れる史跡となっています。

浄土宗 六角山成就院(ろっかくざんじょうじゅいん)
  笛吹市石和町小石和372
JR甲府駅南口から路線バス「奈良原行き」
  小石和下車すぐ

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「一蓮寺」に伝わる宝物の数々!重要文化財をはじめ県・市指定文化財が期間限定公開!

釈迦三尊十八羅漢図

甲斐の中世以後の歴史を知ることができる貴重な宝物

一蓮寺については以前このブログで紹介しましたが、今回期間限定で所蔵する宝物が公開されるとのこと、喜び勇んで見学に行ってきました。
一蓮寺はこれまでも何回か訪れたことはあったのですが、どこに貴重な宝物殿があるのかは全く知りませんでした。
本堂の後方に小さいながら綺麗な造りで蔵のような建物があり、名称は「遊故館」というそうです。「ここにあったのかぁ!」と新たな発見に心を躍らせながら館内に入りました。

小さな空間に貴重な宝物がいくつも!

外観と同様に、館内も綺麗で狭いながら貴重な宝物がガラスケースの中に展示されています。まず目に入ったのは正面奥に飾られていた重要文化財「釈迦三尊十八羅漢図」です。(上部写真)
鎌倉時代のものということで非常に貴重な仏教芸術であることがヒシヒシと感じられます。
また「阿弥陀三尊来迎図」は鎌倉時代と室町時代の2つが並べて展示されていましたが、ほぼほぼ同じ構図でありながら室町時代の作品の方に妙に威厳を感じました。

手前が室町時代の「阿弥陀三尊来迎図」
鎌倉時代の「阿弥陀三尊来迎図」

また木造の「阿弥陀如来立像」も鎌倉時代からの歴史を感じさせるもので見ていると心が引き締まる感じです。

阿弥陀如来立像

知る人ぞ知る、あの「一蓮寺過去帳」が展示されています!

室町時代からの記録を残す「一蓮寺過去帳」

山梨の歴史を学習していると、甲斐国の歴史を語る上で重要な資料としてこの「一蓮寺過去帳」が出てきます。
今回の宝物展の一番の楽しみであったのがこの過去帳。実際に目にすることができました。

上記写真の右下には新羅三郎義光・・・・という記載も見られ、甲斐源氏の歴史の経過を見てとることができます。この過去帳でしか確認できない事柄もあるとのことで、山梨の歴史を探る上で非常に重要かつ貴重な資料となっています。
また、後醍醐天皇の勅額も見ることができ、有意義な時を過ごさせていただきました。

左:後醍醐天皇御宸筆扁額 「一蓮寺」 ※一は弌の字で記載
右:後村上天皇御宸筆扁額 「稲久山一條道場」

過去のブログ

https://hkpt.net/event/ichirenji/

一條道場稲久山一蓮寺
  甲府市太田町5-16
JR中央線甲府駅(南口)からバスで約10分(遊亀公園下車徒歩1分)
ホームページ:http://www.ichirenji.jp/

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