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甲府の街中でクラフトビールを堪能。週末は早い時間から楽しめる「ペルソナブルワリー」

居心地良く、1人でも気軽にクラフトビールを味わえる。

甲府駅北口を出て朝日通りを西に入ると「ペルソナブルワリー」があります。駅から徒歩10分ほど。気軽にクラフトビールを楽しめるのがうれしい。木の壁からビールサーバーのコックがいくつも出ていて、店の奥には醸造タンクもあり気分も高揚してきます。

壁面から出ているビールサーバーコック
店の奥には醸造タンクが見える。

ビールもオーソドックスなものから、独特の味わいのビールまであり、最初に飲んだのは「二の堀アンバー」。とても飲みやすく最初の一杯にぴったりなビールでした。(個人の感想)
ニの堀というのはちょうどこのお店がある場所が甲府城のニの堀に当たる場所にあるため名付けたのでしょう。
城好きな私は真っ先に注文しました。

二の堀アンバー
シトラの週末 Neo
真夜中のペルソナ

2杯目は「シトラの週末 Neo」というビールにしてみました。このビールにはビックリ。今まで飲んだことがない味というか風味というか、不思議な感じ。おそらく「シトラホップをたっぷり使った・・・」と説明があったのでホップの香りが強くのどに残る感じでした。(個人の感想)

3杯目は黒ビールが飲みたくなって「真夜中のペルソナ」を頼みました。これはとても飲みやすく仕上がっていて黒ビールが苦手な人でも飲みやすく、また黒ビール好きの人も納得の味ではないでしょうか。(個人の感想)

カウンターに置かれたビールの本

気取らずに純粋にビールを楽しめるお店です。おつまみは今回はミックスナッツしか頼みませんでしたが、カレーやソーセージなど腹にたまる料理もありました。
ここで腰を据えて思いっきり飲んでもいいし、早い時間に行って軽く飲んでもいいし、その時の状況に合わせて楽しめるクラフトビール店です。

甲府駅に近いが、落ち着き感がある。
店外にもテーブル席あり

ペルソナブルワリー: https://www.instagram.com/personabrewery/
 甲府市朝日2丁目18−4
甲府駅北口から徒歩10分

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北杜市の山間にオープンしたカフェ「百番珈琲」。開放的な空間で本格コーヒーと手作りケーキを楽しむ!

2022年12月にオープンした雰囲気の良いカフェ

北杜市須玉町を清里方面へ車で向かうとき、普通は国道141号を北上するのですが、一本東側に逸れた山間の道を走っている時に集落の中に突如と現れたカフェに思わず車を止め、立ち寄りました。店名は「百番珈琲」。見た感じは商店だった建物を改造したようですが、とても趣があって魅力を感じました。

大きな軒があって外でも飲食可能

テーブル類も趣あり。店内は開放的。

天気の良い日は店外の席でも自然を感じながら本格コーヒーを味わうことができる上に、店内も古民家風の心地よい雰囲気を味わいながら満喫できます。なにしろ店内スペースが広いので堅苦しくなく過ごせるのが魅力でしょう。

一枚板のテーブル。飾られた花が綺麗。
イラストレーターが作った絵葉書もあり。

店内にはいたる所に花が飾られ、天井から吊るされた照明器具が効果的に光を当てているので気分も盛り上がります。

アイスカフェオレと「米粉とバナナのパウンドケーキ」をいただきました。

訪れた日の朝、焙煎作業をしていたとのことで香ばしいコーヒーの香りが店内に漂っていて一層味を引き立てくれました。
また店内には本格的な暖炉も設置されていて冬でも暖かく過ごせそうです。

店内の一角に焙煎室があります。
暖炉があるので冬でも暖かそう。

清里方面にはしばしば行くことがあるので、また訪れたいと思います。皆さんも機会あれば是非どうぞ。

P.S. 仕事仲間に手土産でテイクアウトしたルバーブ入りのケーキが美味しいと好評でした。

鹿の頭蓋骨⁈店内にも鹿のはく製が壁に!
テイクアウトで購入したルバーブのケーキ

住所:山梨県北杜市須玉町上津金782
店名:百番珈琲 https://hyakubancoffee.com/

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つつじが崎の館の北に位置する「積翠寺」。信玄公生誕の地との言い伝えもある寺。

行基が開山の古刹。臨済宗妙心寺派の積翠寺

武田3代の城「つつじが崎の館」。その北側3kmほど行ったところにこの「積翠寺」があります。もともとは「石水寺」と呼ばれていたそうです。その理由は、境内の大きな石から泉が湧き出たからというから興味深いですね。
開山は行基だというので飛鳥・奈良時代からの歴史があるお寺ということになります。後には夢窓国師(夢窓疎石)の弟子が中興し17世紀に現在の臨済宗妙心寺派に転じたようです。
こんなに歴史があるとは・・・、今まで気付かなかった・・・

なんとも歴史を感じさせる
 本堂屋根に付けられた武田菱が目を引く

今川勢との飯田河原合戦が始まる。

1521年に駿河勢(今川勢)が甲斐国へ侵攻し、ついに飯田河原で激突することになりました。飯田河原はつつじが崎から目と鼻の先とも言える距離。こんなところまで駿河勢が侵攻してきたとは切迫状態であったことでしょう。その数は5千〜1万5千と諸説ありますが、迎え撃った武田軍は2千というからその差は歴然。
武田信虎公は正室である大井夫人を館の北にある詰城として築かれた要害城へと避難させるのですが、その時身ごもっていたのが後の信玄だったのです。
この数的不利な状況でも信虎は地の利を生かし勝利することができたのです。

信玄公生誕の地とも言われる積翠寺

飯田河原合戦の勝利後、半月ほどして信玄が誕生したので信虎は大いに喜び「勝千代」と名付けたそうですが、積翠寺には本寺においてのちの信玄を出産したと言い伝えられていて、本堂裏にある井戸で産湯を汲んだと言われています。

産湯を汲んだ井戸
本堂裏にある庭園

寺宝として所蔵されている「積翠寺和漢連句」

和漢連句とは、五・七・五の和句と呼ばれる和歌と漢句と呼ばれる五言の漢詩を続けた連歌の一種だそうです。
信玄は1546年にこの寺で後奈良天皇の勅使として下向していた三条実澄らを迎えて和漢連句会を催し、その時の連句が今も残っているそうです。信玄は京都文化を積極的に取り入れ、武芸だけでなく文芸にも優れた人物であったことが分かります。

境内にあるお堂の石碑
信玄公像が安置されているお堂内

信玄公生誕の地は「要害城」であって積翠寺ではない、という説もあり真実は分かりませんが、今なお武田家の面影を大きく残す寺院の一つであることは間違いありません。

機山武田信玄公誕生之寺

万松山積翠寺(ばんしょうざんせきすいじ)
  甲府市上積翠寺町984
JR中央線甲府駅北口からバス15分、「積翠寺」バス停下車徒歩約5分
ホームページ:https://kofu-tourism.com/spot/55

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甲斐・武田氏の歴史発見 笛吹市石和町にある「成就院」その歴史は甲斐源氏始まりに遡る!

武田信重の菩提寺であり、政治の中心地であった!

甲府市の東に隣接する笛吹市石和町。この地は武田信虎(信玄の父)が甲府・つつじが崎に館を移す前までは政治の中心地であったといわれています。
つつじが崎に館を移す前は現在の甲府市川田町(ここも石和町に隣接していますが)に館がありました。
現在はぶどう畑になっていますが、当時の面影を残す石積みを見ることができます。

川田館跡

これ以前、いわゆる中世にかけて武田信重が甲斐守護(信玄の5代前)であった際、居館を置いたのが石和町小石和というところで現在は「六角山成就院」という浄土宗の寺となっています。
この寺は信重の子、武田信守が父の菩提を弔う為に既存の荒廃した寺を改宗し、寺号も現在のものにし庇護したそうです。

では、元々あった“荒廃した寺”というのが、また興味深い話が残っていて、甲斐源氏は源義清とその息子である清光が1130年に入国し歴史が始まっていくのですが、この息子の清光が開基した真言宗寺院であって、寺号を「清光院」といったそうです。
清光は八ヶ岳南麓の逸見(へみ)を本拠地としていたので石和に寺を開基したというのは不思議な感じがしないでもないのですが・・・。この寺を改宗したのが武田信守ということのなります。

武田信重の墓
成就院の案内看板

武田信玄の時代に甲府へ!

武田信玄は居城である甲府のつつじが崎城下にこの成就院を移し信玄の正室である三条夫人の菩提寺とし法名にあわせ「円光院」と寺号を改称し臨済宗「甲府五山」としたのでした。
笛吹市石和町に残る成就院は少し前までは正直、寂れた感がありましたが現在は改修工事が終わり、武田家の歴史を垣間見れる史跡となっています。

浄土宗 六角山成就院(ろっかくざんじょうじゅいん)
  笛吹市石和町小石和372
JR甲府駅南口から路線バス「奈良原行き」
  小石和下車すぐ

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「一蓮寺」に伝わる宝物の数々!重要文化財をはじめ県・市指定文化財が期間限定公開!

釈迦三尊十八羅漢図

甲斐の中世以後の歴史を知ることができる貴重な宝物

一蓮寺については以前このブログで紹介しましたが、今回期間限定で所蔵する宝物が公開されるとのこと、喜び勇んで見学に行ってきました。
一蓮寺はこれまでも何回か訪れたことはあったのですが、どこに貴重な宝物殿があるのかは全く知りませんでした。
本堂の後方に小さいながら綺麗な造りで蔵のような建物があり、名称は「遊故館」というそうです。「ここにあったのかぁ!」と新たな発見に心を躍らせながら館内に入りました。

小さな空間に貴重な宝物がいくつも!

外観と同様に、館内も綺麗で狭いながら貴重な宝物がガラスケースの中に展示されています。まず目に入ったのは正面奥に飾られていた重要文化財「釈迦三尊十八羅漢図」です。(上部写真)
鎌倉時代のものということで非常に貴重な仏教芸術であることがヒシヒシと感じられます。
また「阿弥陀三尊来迎図」は鎌倉時代と室町時代の2つが並べて展示されていましたが、ほぼほぼ同じ構図でありながら室町時代の作品の方に妙に威厳を感じました。

手前が室町時代の「阿弥陀三尊来迎図」
鎌倉時代の「阿弥陀三尊来迎図」

また木造の「阿弥陀如来立像」も鎌倉時代からの歴史を感じさせるもので見ていると心が引き締まる感じです。

阿弥陀如来立像

知る人ぞ知る、あの「一蓮寺過去帳」が展示されています!

室町時代からの記録を残す「一蓮寺過去帳」

山梨の歴史を学習していると、甲斐国の歴史を語る上で重要な資料としてこの「一蓮寺過去帳」が出てきます。
今回の宝物展の一番の楽しみであったのがこの過去帳。実際に目にすることができました。

上記写真の右下には新羅三郎義光・・・・という記載も見られ、甲斐源氏の歴史の経過を見てとることができます。この過去帳でしか確認できない事柄もあるとのことで、山梨の歴史を探る上で非常に重要かつ貴重な資料となっています。
また、後醍醐天皇の勅額も見ることができ、有意義な時を過ごさせていただきました。

左:後醍醐天皇御宸筆扁額 「一蓮寺」 ※一は弌の字で記載
右:後村上天皇御宸筆扁額 「稲久山一條道場」

過去のブログ

https://hkpt.net/event/ichirenji/

一條道場稲久山一蓮寺
  甲府市太田町5-16
JR中央線甲府駅(南口)からバスで約10分(遊亀公園下車徒歩1分)
ホームページ:http://www.ichirenji.jp/

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「国衙八幡宮」、「府中八幡」、「甲斐総社八幡神社」へ 武田家の武運長久を祈願した神社の変遷

武田家の氏神となった八幡神社 その始まりは石和から

甲府駅から武田神社へ向かい、途中を東側に入った静かな場所に八幡神社があります。社殿の背後には小高い丘があり一説には古墳があったとも言われています。石柱には甲斐総社八幡神社と記されているので、ただならぬ感じがします。

八幡神社といえば源氏の守り神であるので当然武田家も氏神としてお祀りしました。その歴史の流れを見ると元は笛吹市にある「国衙八幡宮(現石和八幡宮)」が始まりでした。
甲斐国において最初に武田の姓を名乗った武田信義。その長男忠頼をはじめ甲斐源氏の勢力拡大を警戒した源頼朝によってことごとく殺されてしまった為、五男であった信光(石和五郎という)が武田家を継承することになりました。この信光が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請し「国衙(こくが)八幡宮」として石和に祀ったのが始まりです。

石和八幡宮

石和八幡宮は近年、火災により消失し新たに再建されたため見た目は新しいが歴史は古い神社です。
この時代は石和(及びその付近)が政治の中心地であったようで甲府(甲斐府中)が政治の中心になるのは武田信虎の時代を待つことになります。

府中八幡がつつじが崎館の西側に遷座

1519年に武田信虎が現在の武田神社がある、つつじが崎に館を移転するに伴い館西側に八幡宮を遷座、これが「府中八幡」といわれています。初代守護の信光の「国衙八幡宮」から信虎・信玄の時代の「府中八幡宮」を通して甲斐国総社八幡社として神社を統制する中心であったようです。国中の160の神社が2社ずつ交代で二日二夜、武田家の武運長久を祈願したとのことで、決してお祈りが途切れることがなかったと言われています。
現在この府中八幡宮は「古八幡」という名で残ってはおりますが、小学校の建設に伴って境内の敷地を市へ提供するなどし、今は地元自治会館の棟続きのお社に祀られているのですが、とても狭い一角にあるのでちょっと残念な気がします。もっと大々的に歴史遺産として残してもらいたい気がします。

古八幡が入る自治会館
左側に「峰本古八幡神社」と書かれている
右側のドアを開けて中に入る
古八幡神社

武田氏滅亡後、甲府城築城に伴い現在の場所に移転

現在の甲斐総社八幡神社は甲府市宮前町にあります。これは甲府城を築城した浅野長政(豊臣秀吉五奉行の一人)が遷座したものです。社殿の背後には古墳と言われている小高い丘があり、草が生い茂っていますが、上まで登ると大きな石がたくさんあり、ある意味神秘的な雰囲気があります。石の中には“かえる”によく似た石もありパワースポット的な場所とも言えるでしょう。
通常は地元の子供たちが広場で遊んだりする、地域に根ざした神社で一般的な参拝者はほとんで見かけることはありません。
鳥居をくぐった右側にある池の辺りには信玄公が曽我五郎の生まれ代わりだという「夢見山伝説」の案内もあります。

甲斐総社八幡神社の鳥居
社殿
通称“かえる石”と呼ばれる大きな石
鳥居をくぐってすぐ右手にある池

甲斐総社八幡神社・・・甲府市宮前町6−47
甲府駅北口から徒歩15分
ホームページ:https://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/1064  

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“甲府盆地湖水伝説”を今に残す、甲府の中心に鎮座する神社 穴切(あなぎり)大神社

甲府盆地が湖だった⁉︎その水を抜いた伝説が伝わる神社

甲府駅のすぐ南に位置する甲府城。この天守台に登ってみると四方八方を山に囲まれていているのがよくわかります。周辺の高台から見ればなおさら甲府が盆地であることをしみじみ感じることができるでしょう。
さて、この甲府盆地が“和銅年間“というから708〜715年、この頃はなんと、湖であったというのです。

甲府中心部からほど近い「夢見山」から甲府盆地と富士山を望む

当時、国司が見回りをしていて湖水の水を抜けば良い田んぼになるのでは?と考え、大己貴命(おおなむちのみこと)–大国主命(おおくにぬしのみこと)のこと– にお祈りし、盆地の南側を切り開いて湖水の水を富士川に流し込むことで、広大な田んぼを開墾できたというものです。その際に穴切明神として創建されたのがこの神社と言われています。

随神門(ずいじんもん)二層の楼門で1794年の建立とのこと
拝殿にかかる幕には武田家の家紋「武田菱」と八咫烏(やたがらす)が表されている
本殿は国重要文化財 一間社流造という形式で安土・桃山時代の作といわれる。

拝殿の横を通り裏手の本殿をみると立派な造りなのでびっくりしました。「一間社流造」(いっけんしゃながれづくり)という安土・桃山時代に造られた作のようです。側面から見ると前後に水が流れるような線をもっていることから流造といわれるとのこと。

神楽殿 結構立派なつくり
(左)塩釜社  (右)道祖神社

湖水伝説にはいくつか説があるのですが、この付近からは縄文土器も発掘されているので、古くから人が生活していたことがわかっており、したがってこういった伝説も多く残っているのではないでしょうか。
実際のところ、湖水だったのは何万年も前のことでしょうが、こういった伝説が甲府の中心に言い伝えられているのは面白いことですね。
小さい神社ですが、歴史と趣をひしひしと感じられる街中の神社です。

穴切大神社…甲府市宝2−8−5
甲府駅から徒歩15分程
ホームページ:http://www.anagiridaijinja.jp/

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武田勝頼によって築かれた武田氏最後の居城「新府城」。決戦に備えた難攻不落の城であったが・・・

本丸跡

武田氏の築城技術を結集し完成を目指した最後の城

武田信虎が甲府市のつつじが崎に館を造り、その後信玄、勝頼と3代の居城となっていましたが、勝頼は甲府の西方、韮崎の地に新たな城を築城し移転することにしました。
織田軍の侵攻に備え、強固な城を造ったのですが、予想より織田軍の侵攻が早かったため、未完成のまま入城し最後は勝頼自身が火を放って退去するという戦国時代末期の動乱の中で悲しい運命を辿った平山城です。

歩いていると至る所に案内・説明看板が設置されているので分かりやすくなっています。
新府城想定復元図がありました。

大手門前には武田流築城の特色である「丸馬出し」とその前方に「三日月堀」が配置されていたようです。また西側は七里岩の断崖と釜無川によって守られた要害です。
この場所に築城したのは信濃方面から侵攻してくる織田軍を迎え撃つためといわれております。
新府城に来て分かったのですが、思っていたよりも虎口や井戸跡などしっかり残っているのに驚きでした。特に井戸は直径20m以上はあるのでは・・・という大きさです。説明看板が無ければ大きい凹みと思って見過ごしていたことでしょう。

また本丸は結構広い敷地面積があり、現在は「藤武神社」があります。これは勝頼が鎮守として祀ったのが始まりといわれています。

訪れた日は草なども刈られていて手入れがされている感じでした。また本丸の一部エリアは発掘調査がされています。

また「武田勝頼公霊社」と書かれた石祠が建立されていてその横には勝頼公また武田氏を讃えたこれまた大きな石碑があります。

勝頼自らによって火が放たれ・・・

織田軍の武田攻めが勝頼の想定よりあまりに早く、この新府城は1581年末に一年足らずで一応の完成を見るが、その翌年に武田家は滅亡します。甲府の府中に対してこの地を新府と名づけ、死守する決意でいた勝頼でしたが敵方への投降者が相次ぎ、この城は勝頼が入城して70日程で自らが火を放って退城するという何とも悲劇の城となってしまいました。

今回は駐車場から西出構えから乾門桝形虎口、二の丸そして本丸と抜けて見学しました。
さすがに暑さの中で249段の神社参道を登る勇気はなく、降りるのに利用。残念ながら大手門方面は時間の関係で見ることができなかったので次回の楽しみにとっておきます。

新府城跡 韮崎市中田町中條
     JR中央線新府駅から徒歩15分
HP:韮崎市観光協会
https://www.nirasakikankou.jp/kankou_spot/jinjya_bukkaku_rekishi/meisho_kyuseki/6562.html
     

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武田家3代の詰城「要害城」 戦国期の山城の様相を今に伝える天然の要害 

要害城跡が残る要害山

つつじが崎の居館とセットで築かれた詰城

武田信虎がつつじが崎に居館を築いたのは1519年。翌年1520年に居館から北へ3キロ程行った所に危急の際に立て篭もる為の詰城として築かれたのが「要害城」です。
この頃は駿河の今川勢が頻繁に甲斐国へ侵攻してきた時期で、1521年には「飯田河原の戦い」があったといわれており、まさに現在の甲府の中心部から西へ2キロほどいったところまで攻め込まれたことになります。今川勢福島正成が率いる1万5千人の大軍を信虎は2千余人でこの戦に勝利したといわれています。
その戦いの最中に要害城で武田信玄が誕生しました。

要害城跡の主郭にある石碑。「武田信玄公誕生之地」と刻まれています。

主郭までは30分ほどで登ることができます。入口には「史跡 要害山」の石碑がありマップや説明文があります。

登山道入口に建つ石碑
いよいよ要害山の中へ入っていきます
史跡境界の杭
案内看板が有難い
曲輪跡
不動曲輪⁉︎
これは見事なお不動さん
やっとこさ主郭部分へ到着
信玄公誕生の石碑横にある山梨百名山の証

曇り空でしたが蒸し暑い日だったので、けっこう汗をかきました。主郭部は広くて創造していた感じでした。たまたま木々の間から遠くの景色を見ようとしたら、「おっと、富士山だ!」

主郭部から見る富士山

まさか富士山が見えるとは思っていなかったのでちょっと感動。
500年前も同じように富士山を望むことできたことでしょう。

門跡の石垣
野面積み?

本丸跡が770mなので気軽に登ることができると言えますが、途中それなりに険しい部分もあるので足腰に自信のない方は無理しない方がいいかもしれません。
また今回はうっかり、“諏訪水”といわれる井戸跡を身損ねてしまったのが残念!次の機会に!

要害山 
 甲府市上積翠寺町984
 甲府駅北口からバスで15分
 ホームページhttps://kofu-tourism.com/spot/54

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時速500kmがもたらす次世代体験‼︎超電導リニアに試乗 in リニア見学センター

超電導技術が革新的なスピードを成し遂げた

山梨県にリニア実験線ができたのが1997年。その後延伸されて現在は総延長42.8kmとなった「山梨リニア実験線」。
これまで試乗した人に話は聞いていましたが、今回リニアに試乗する機会を得ることができたので乗ってきました。
リニア実験線はほとんどがトンネル内を走行するため、外部にその姿を見せるエリアは限られています。これまで1度早いスピードで走行しているのを見たことがあるくらいで、あとはゆっくりした速度で地上に出てきて走行しているのを数回見たことがある程度でした。

搭乗施設へ向かうと体験乗車会場の案内が…

山梨県都留市にあるこのリニア実験線施設。観光用としては「リニア見学センター」という施設があり、「どきどきリニア館」と「わくわくやまなし館」という2館がありますが、試乗はこことは別に試乗専用の建物がありそこへ向かいました。
案内された大きな部屋にはリニアに関する各種説明資料が壁に掲出してあるので時間まで自由に見て、その後搭乗前のガイダンスが始まりました。

搭乗前の映像によるガイダンスの様子
リニアが世界最速記録を出した際のギネス認定証が飾られている

いよいよリニアに搭乗。 ドキドキ‼︎

車両搭乗のゲートはさながら飛行機へ搭乗する感じです。各号車ごとにゲートがあって気分も盛り上がります。
車内はシートが向かい合う作りになっていて初めは疑問に思いましたが、現状は行ったり来たりを繰り返す実験線なので反対側に座り直せば常に進行方向を向いて乗車できるため対面座席になっていることが分かりました。


期待と共に車両が動き出すと、150kmに達するまではタイヤ走行なので振動もありますが、浮上すると振動が消えるのがはっきり分かります。とはいってもやはり500kmでの走行、思っていたより浮上後の振動が感じられました。またトンネル内での走行でもあり走行音もそれなりに聞こえます。(もちろん飛行機ほどではないですが)座席には収納タイプの小型テーブルやUSBポートも付いています。

時速500kmに達した際の車内モニター
座席の肘掛けに付いているUSBポート

あとで分かったのですが、本格営業を目指しあえて高低差やカーブをつけて実験線を作ったとのことです。乗車しているとほとんどモニターで外部の様子を見ているのでそこまで分かりませんでした。
降車後はリニア車両をガラス越しに間近で見れる場所へ通されて記念写真を撮ったりできました。

ノーズが異様に長いL0系改良型試験車
車両側面

試乗が終わり次は外部から走行しているリニアを見るため「どきどきリニア館」へ向かいました。そこでは超電導の技術的説明やリニア中央新幹線としての紹介映像、ジオラマなどがありまた磁気浮上が体験できるミニリニアなどがあります。また旧タイプの実験車両も展示されていて車内に入って見ることもできました。


リニア走行を見学できるのはこの「どきどきリニア館」3Fでガラス越しに、そして外へ出て見ることもできます。(但しネットが張ってありますが)ちょうどリニアがトンネルから出てくる場所なので近づいてくると音でわかります。また通過する際、建物の振動も結構感じました。

実際に高速でリニアが通り過ぎる映像です。
(映像1)

トンネル内から出てくる様子。

(映像2)

目の前を通過。
停車するところ。

試乗を終えて

今回運良く抽選で試乗体験が当たり乗車できました。
時速500kmで簡単に移動できたら日常的に、また経済的にも社会に大きな変化をもたらすでしょう。現在の新幹線ですらその移動の速さにある種「魔法の乗り物」という感じがしていますが、さらに大きく上回る速さ。東京〜名古屋間が最速40分ですから驚異的です。開業予定は2027年ですが、そのためにはまだ乗り越えなくてはならないハードルもあります。「超電導リニア」といわれる日本固有の革新的技術が実用化され世界に誇れる日が来ることを心待ちにしたいと思い見学センターを後にしました。

山梨県リニア見学センター
 山梨県都留市小形山2381
  (JR中央線大月駅からバスで15分)
ホームページ:https://www.linear-museum.pref.yamanashi.jp/index.html

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