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華光院(けこういん) 真言密教の極み「火渡り祈願祭」が3年ぶりに開催!無病息災と世界平和を祈願

甲府市の真言宗寺院である「真如山華光院良林寺」で3年ぶりに春の大祭である「火渡り祈願祭」が4月10日に開催されました。
噂には聞いていましたが、実際に見るのは初めて。
この華光院は武田信虎公が甲府のつつじが崎へ館を移した後、紀州から本尊「三宝荒神」を勧請しお堂を建てたのが始まりで、信玄公が現在の場所に移し寺名を名付けたと言われるので500年もの歴史があることになります。


10時過ぎに到着するとのぼり旗も上がり、境内には柴燈護摩壇が設置され、また露店も多く出店していてお祭り気分も高まります。

三寶大荒神ののぼり旗
境内に設置された柴燈護摩壇
露店が立ち並ぶ
お子様に人気だった魚つりゲーム

大勢の人が見守る中で、様々な儀式が行われていきます。初めて目の当たりにすると真言密教の神秘性を感じます。

山伏姿で入場する僧
弓を放つ法弓(ほうきゅう)という儀式

想像していたよりはるかに燃え盛る炎の中へ入っていくのに驚きです。

勢いよく火がついていく
火渡りを始める導師

華光院には「太子堂」という歴史を感じさせるお堂があるのですが、これは甲府城の本丸(天守台下)にあったものを1724年に移設したものです。甲府城建築物としては唯一現存するものなのでとても貴重で興味深いです。

華光院の“太子堂” 甲府城にある時は“毘沙門堂”と言われていたようである。
桜に映える太子堂
“甲府七福神めぐり”で毘沙門天を祀る

これまで“火渡り”はテレビやYouTubeで見たことはあったのですが、実際に見ると思っていた以上の迫力でした。
一般の人も炎が落ち着いてから渡ることができ、無病息災、そして各人それぞれの願いを祈って老若男女を問わず大勢の方が“火渡り”をしていました。

一般の方の火渡りの様子
遠くから見た華光院。煙が立ち昇っている

華光院 
  甲府市元紺屋町33 
  JR中央線甲府駅北口から徒歩20分
関連ホームページ:https://kofu-tourism.com/spot/381

甲府観光ツアー専門.
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一蓮寺 ー 一条小山(現甲府城跡)にあった鎌倉時代から続く甲斐源氏ゆかりの寺

甲府城ができる前に一条小山にあった一蓮寺

甲府城は一条小山という小高い山に築かれた平山城(ひらやまじろ)ですが、もともとこの一条小山の山腹には「一蓮寺」がありました。
武田家初代に当たる武田信義の嫡男である忠頼がこの一条小山に館をかまえていて、1180年に平家討伐のため甲斐源氏として挙兵し戦果を上げました。しかしながら甲斐源氏の勢力を削ぐため源頼朝によって忠頼、その長男行忠ともども誅殺されてしまいました。
夫と子を失い失意の底に落ちた忠頼の夫人は居館を尼寺にして生涯慰霊を弔ったとのこと。この尼寺が後に(1312年)一蓮寺となったのです。

豊臣秀吉による甲府城築城時に移転される

天下統一した豊臣秀吉は加藤光泰、浅野長政・幸長(よしなが)親子に甲府城築城を命令、一条小山に甲府城を築くため一蓮寺は現在の地に移転されました。(1595年)現在の一蓮寺は甲府市街のほぼ中心にあり、遊亀公園に隣接して趣あるたたずまいを呈しています。

本堂
参道

甲斐国主であった「柳沢吉保」の肖像画が保管されている

柳沢吉保は江戸時代に5代将軍徳川綱吉の側用人として有名ですが、1704年に甲府藩主であった徳川綱豊が6代将軍(家宣)に決まったことから吉保は甲府藩主となり甲斐国主になりました。徳川一門以外で唯一甲府城主になった大名です。
甲府が江戸時代で最も発展し賑わった時代がこの頃と言われています。その吉保の肖像画「絹本著色柳沢吉保像」(縦140.8cm×横92.8cm)が一蓮寺に文化財として保存されています。

柳沢吉保肖像画

その他にも武田信玄公筆と伝えらる紙本著色渡唐天神像もあり山梨県指定の有形文化財になっております。

遊亀公園、また大通りに隣接し、学校も近くにあるため境内を歩いて抜けていく人もまばらに見られます。現代の人々の日常に寄り添って今なお甲斐源氏の歴史を物語っている由緒ある寺院です。

結構大きい釣鐘堂
優しい顔をした像

一條道場稲久山一蓮寺
  甲府市太田町5-16
JR中央線甲府駅(南口)からバスで約10分(遊亀公園下車徒歩1分)
ホームページ:http://www.ichirenji.jp/

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