カテゴリー
観光情報

日本100名城の「武田氏館」(つつじが崎館) 武田神社に残る館の痕跡から武田氏三代を垣間見る!

武田氏館大手門跡

室町将軍家「花の御所」を模した武田氏館

現在武田神社がある場所が「つつじが崎館」といわれた武田氏三代(信虎、信玄、勝頼)の館跡です。
1519年に信虎が川田(甲府の最東部)からこの地に館を移居しました。館の構造は京の将軍家「花の御所」を模倣、その後の城下町造営についても京の条坊をイメージするもので信虎の京都への意識が強く見てとれます。
館は当初は今残る城の痕跡よりずっと小さな作りで主郭部(東曲輪と中曲輪…現在の神社本殿、拝殿、社務所等がある部分)のみで、以後徐々に郭を増設したようです。
西曲輪、味噌曲輪、隠居曲輪、無名曲輪、梅翁曲輪といった郭ができています。

武田氏館(つつじが崎館)見取り図

「大手門」は東側にあった!

現在の武田神社は甲府駅から北へ真っすぐ上ってくると、真正面に神社入口がありますが、武田氏館の大手門(大手虎口)は東側にありました。惣堀、土塁、石塁が設置されていて敵が直進出来ない構造であったとともに、武田流丸馬出しと三日月堀もあったことが発掘調査で確認されています。

西曲輪

「西曲輪」は信玄の嫡男である義信が今川義元の息女嶺松院との婚儀に伴い新たに増設した曲輪。北、南に枡形虎口(出入口のこと)があり、南側虎口を出た部分は「丸馬出し」が設置されていたようです。
馬出とは虎口の外側に作った防衛用の曲輪で、これがあると敵は一気に攻め入ることができません。また馬出しに兵を配置させて弓・鉄砲で攻撃もできるため攻守に優れたものです。武田氏が作る城は「丸馬出し」が主流でした。(北条氏は「角馬出し」を多用したようです)
また西曲輪と主郭部は土橋でつながっています。

稲荷曲輪

中郭部の北に「稲荷曲輪」があったようで、城の中心に独立して位置しています。館の鎮守「御崎社」を稲荷明神として祀っていました。武田氏滅亡後は御崎神社として市内美咲2丁目に遷座しました。
また中郭部の東北方向に位置する場所(現在の宝物館裏辺り)にも毘沙門堂、不動堂などが設置されていたようで武田家の信心深かさが分かります。
稲荷曲輪には現在は小さな石造の祠3基とキツネ像が置かれています。

味噌曲輪、無名曲輪、隠居曲輪は発掘調査中

武田神社の北側(裏側)には各種の曲輪があったことが分かっているが現在は発掘調査中の状況です。何かしら新しい発見があればいいですね。
西曲輪と味噌曲輪方向にも枡形虎口があって土橋でつながっています。

味噌曲輪…食糧、諸物資を貯蔵していた施設(推定)
無名曲輪…使用目的は現在のところ不明。名前もないので無名曲輪といわれている。
隠居曲輪…信虎が駿河へ追放されたのち、大井夫人(信玄の母)が隠居暮らしをした場所。

以前から気になっていた「北側虎口」

中郭部の北に位置する虎口(後には隠居曲輪へもつながる虎口)は現在は利用できなくなっていて、しかも草木に覆われているためこれまでどこがそうなのか分からずじまいでした。冬のこの時期に探してみたところ草木の合間から土橋があるのを発見できました。周囲を空堀が囲っている中に土橋がありました。

梅翁曲輪は徳川家康家臣・平岩親吉が作ったか?

梅翁曲輪は西曲輪を出た南側に作られたもので、1582年の武田氏滅亡後、徳川支配(1583〜90)になった際、平岩親吉が作った可能性が大きいと言われています。
その後豊臣秀吉支配になったのが1590年。それから甲府城築城が始まり完成するのが1598年前後なので少なくともその間は武田氏館が領国支配の政治的中心であったようです。
また中郭部には天守台が残っており、これは1592年頃、加藤光泰が築いたといわれています。(天守台があるエリアは立入禁止のためどういったものか分かりません)

そして武田の城下町が成立していった

武田氏館周辺に重臣の屋敷を、館南西近くには有力家臣の屋敷を置き、そして城下町南部は商人・職人が居住した地域だったようです。また館周辺には武田氏の氏神を配置するなどし城下町を展開していき、すでに賑わっていた城下町南端(一条小山:現甲府城)の一蓮寺門前町も加えて一大城下町を作り上げ、現在の甲府市の礎となったのです。

武田神社(武田氏館跡)
  甲府市古府中町2611
JR中央線甲府駅(北口)からバスで約10分(武田神社下車)
武田神社http://www.takedajinja.or.jp/1_jinja.html

【関連ブログ】

「武田信虎公が創建した甲府(甲斐府中)」
https://hkpt.net/event/kaifuchu-jyokamachi/

【おすすめツアー】

⭕️歩いて甲府の街歩き 歴史再発見!プライベートツアー
「甲府のまち ウォーキング・プチツアー いにしえコース」(案内ガイド・昼食付)

⭕️甲府のメイン観光地をめぐる王道コース!

甲府観光ツアー専門.
カテゴリー
観光情報

武田信虎公が創建した甲府(甲斐府中) つつじが崎へ館を移居 防衛体制と城下町を確立

甲府(甲斐府中)のはじまり!開府500年

武田信玄の父、信虎は1507年、14才で家督を継いで甲斐国主(守護)になりました。戦国時代真っ只中で甲斐国も武田と同族の在地領主や在地豪族との抗争を繰り返す中で、石和(川田)にあった館を小松の里にある相川扇状地・つつじが崎に移居しました。それが1519年のことだったので、2019年で開府500年になりました。なぜ信虎は館を移居したのでしょう?

甲府城下町イメージ

相川扇状地・つつじが崎は防衛と城下町づくりに最適な場所

相川扇状地は、幅2キロ、奥行き3キロほどの規模。甲府盆地を南に見下ろす位置に三角形状に展開、東西外縁を藤川、相川があってその外側を山々が囲む天然の要害と言えましょう。
まず館の北東2.5kmにある丸山に立て籠ることを目的にした詰城である要害城を築き、南西に位置する湯村山に支城(湯村山城)をつくり、南東に位置する愛宕山(当時は甲斐奈山)には砦を設け、扇状地南端に位置する一条小山にも防衛の一翼を担う砦をつくることで甲斐府中の防衛体制を完成させました。
館南には城下町を作るため南北に5本の基幹となる道路を通し、これらの基幹道路に東西通りが交わり、それはまさに京都の条坊を思わせるようであったそうです。
これは信虎が戦国大名として武田氏の権力・権威を強烈にアピールしたものと言えるでしょう。

愛宕山北部(夢見山)付近から南方を望む
湯村山城跡より南方を望む
甲斐府中の道路イメージ

5本の基幹道路もまっすぐではなく、部分的にクランク状に曲げるなどして仕上げることで敵が攻めてきた時に勢いを削ぐような造りになっており、これは今でも痕跡が残っています。
下記写真は上記イメージ図の「広小路」の一部。

南から北上すると大きく左に曲がりすぐ右へ曲がっている。
若干ではあるが右へずれる感じでクランクしている感じ。

城下町の展開

つつじが崎館周辺には重臣の屋敷を置き、南西近くには有力家臣の屋敷を置きました。
城下町南部には商人や職人が住む地域を置くとともに、東西の入口となるエリアには八日市場、三日市場をそれぞれ開設した。その時すでに一条小山南側には一蓮寺門前町が広がっていて賑わっていたようです。
また武田氏に関わる神社仏閣が他所から館近くに移されたり、建築されたりして徐々に甲府の町が城下町として形成されていきました。

信虎がつつじが崎に移居した狙い

山梨郡の小松の里「相川扇状地」に館を移居した狙いはどこにあったのでしょう?
1.それまで館があった川田館は笛吹川に近く水害の被害を何度か被ったことがあった。それに引き換え小松の里は相川、藤川があるが狭くて深いため大洪水は少ない。
2.戦国時代に相応しい軍事防衛に適した場所で戦国大名への足がかりにする。
3.つつじが崎館を政庁舎とし政治基盤を確立し国を統括・支配する。
4.一条小山南側に発達していた「一蓮寺門前町」を囲い込む。
5.風水的に適している。「三閉南開」、「四神相応」の地。
などが挙げられます。

甲府城下町はまさに「京の都」を真似て作っており、信虎がいかに京を意識していたかが分かります。町は条坊を基本とし作り上げ、居館は室町将軍の「花の御所」をモデルにしたとも言えます。また晴信(信玄)の「晴」の字は将軍足利義晴からもらうとともに正室には左大臣三条公頼の子(三条夫人)を迎えていることからもうかがえるのではないでしょうか。

武田神社(武田氏館跡)
  甲府市古府中町2611
JR中央線甲府駅(北口)からバスで約10分(武田神社下車)
武田神社http://www.takedajinja.or.jp/1_jinja.html

甲府観光ツアー専門.

カテゴリー
その他 観光情報

甲府城三の堀跡沿いにあらわれた舟運・河岸の痕跡!城下町に行き交った引き船

舟運が物流の主軸を担った江戸末期から明治の河岸跡

甲府市城東2丁目に舟運・河岸の痕跡が見つかったと新聞報道があり、市教育委員会の「遺跡見学会」に参加しました。
この場所は甲府市の中心部で「連雀問屋街」の通りを東に来たところ。現代で考えると「こんな所まで舟が入り込むの?」と思ってしまう場所です。
新たな道路を造る工事過程で発見されたのですが、江戸時代末期、そして明治、大正、もしかすると昭和初期頃まで利用されていたのではないか、とのことです。

甲府城三の堀跡と遺跡発見現場

甲府城三の堀を利用し舟運を行なっていた。

甲府城下町の南端部分に位置するこの場所は町人街があった所で経済が盛んであったエリアです。ちょうど甲府城三の堀があり、富士川、笛吹川、濁川を経由し三の堀の水路で荷物を運んでいた、その最終地点である船着き場・河岸が今回発見されたというわけです。舟運は明治36年に鉄道の「甲府駅」が開通するまで日常的に利用されていて大量の物資を運ぶことができるうえに、陸路より早く江戸へ輸送できたとのことです。

江戸後期の地図。右下の赤丸が発見現場。
三の堀(現濁川)が曲がる部分に船着き場があった。

水路の石垣を見るとわかる河岸の事実

現在の水路(濁川)の石垣を見るとオレンジの左と右では石垣の積み方が違うことが分かります。しかもこのオレンジの位置は今回発見された遺構の南側壁面と位置がほぼ合致するため、オレンジ右側は舟を引き込むため開口していて後に石垣を積んで塞いだのでは、と想像がつきますね。

物資のみならず文化、流行の玄関口であったと思われるこの河岸。甲府城下の繁栄を支える重要な拠点であったといえるでしょう。

甲府城下町遺跡(舟運遺構):甲府市城東2丁目「文珠稲荷入口」
山梨県埋蔵文化財センターホームページ:https://www.pref.yamanashi.jp/maizou-bnk/

甲府観光ツアー専門.

カテゴリー
観光情報

歩いて甲府の歴史を観光!「山裾古(やますそいにしえ)の道」を歩く。心地良い雰囲気が魅力。山裾古 in Kofu

「山裾古の道」、それは歩いて武田家や甲府の歴史を探る小道

甲府には「山裾古(やますそいにしえ)の道」といわれる歩いて観光するための小道があります。中世・近世の甲府の歴史にふれながら、武田氏とゆかりの深い寺院などをのんびりと歩いてめぐることができるコースです。実際に信玄公の時代に主要な道路であったところも歩きます。
また、ちょっとした高台で甲府市が見渡せる「みはらし台」もあったりして天気が良ければのんびり歩いてスロートリップを楽しめます。

甲府城の石垣を作るための石を切り出した「愛宕山石切場跡」

古の道沿いにある「愛宕山石切場跡」。甲府城の石垣は城がある一条小山という山から切り出す安山岩を使用していますが、不足分をこの愛宕山石切場から切り出していました。後にこの場所には愛宕山荘という個人の別宅があったり、少し前までは甲府地方裁判所所長官舎があったりしましたが、現在は建物はなく発掘調査が行われています。県では国の史跡である甲府城に付随するこの愛宕山石切場も国の史跡に追加指定を申し入れ近日指定される予定とのことです。
※ここは封鎖されていて中には入ることができません。遠目から見るだけになります。

心がホッとする、そんな小道が続く古の道

愛宕山石切場を過ぎるとある小道の入口
しばらく行くと分れ道にある案内標識

ここから小道に入りますが、何とも趣ある感じがします。山梨英和中学・高等学校にぶつかったところで道は分かれますが、「みはらし台」へ向かうために右方向に進みます。
ところで山梨英和中学・高等学校はHNK連続テレビ小説「花子とアン」で主演の吉高由里子が演じた「村岡花子」が5年間ほど英語教師として教鞭をとった学校です。当時(大正時代)は山梨英和女学校といいました。

NHKドラマホームページより引用
山梨英和中学・高等学校

みはらし台から甲府の街、そして富士山・南アルプスの眺望を楽しむ。春にはサクラが咲き誇る🌸

少し上り坂がキツイですが、登り切ると「みはらし台」があります。ちょっとした小高い場所ですが、甲府の街や山々を見渡せます。
また後方には甲府市の桜の名所でもある中区配水場があります。大正時代に植えられた70本ほどの桜が咲き誇り、富士山もバックに見える絶好の花見ポイント。ここは桜が咲く一時期(3月下旬〜4月上旬)だけ一般開放され、普段は立入禁止になっています。

みはらし台
中区配水場の桜。富士山が見える。
(甲府市観光課ホームページより引用)

甲府城建築物の唯一現存遺構が見られる華光院(けこういん)

みはらし台から少し北へ歩くと真如山華光院良林寺があります。この寺は16世紀に武田信虎が三宝荒神(さんぽうこうじん)を本尊とするお堂を建立、後に信玄が現在の場所に移し祈願所としたそうです。
この寺にある「太子堂」は1724年に甲府城主であった柳沢吉里が大和郡山に転封になったとき、甲府城の本丸(天守台下)にあった毘沙門堂をこの華光院に移築しました。聖徳太子の像を祀っているため「太子堂」とも言われています。
甲府城に実際にあった建築物が見られるとは驚きです。

太子堂は歴史を感じさせるたたずまいを見せています。

今回紹介した山裾古の道は一部ですが、甲府駅からも近いためちょっと時間があったなら、ぜひ歩いてみて下さい。甲府の魅力を発見できると思います。

甲府駅北口 →愛宕山石切場(徒歩7分程)→みはらし台(徒歩6分程)→華光院(徒歩9分程)

甲府市観光協会ホームページ:https://kofu-tourism.com/

こちらは
ウォーキング・プチツアー【いにしえコース】でご案内いたします。
https://hkpt.net/walking-petit-tour-inishie/

甲府観光ツアー専門.
カテゴリー
観光情報

武田神社周辺散歩 ー 「つつじが崎館」跡付近に残る武田氏にまつわる史跡を訪ねて!

紅葉した木々が美しい武田神社とお堀

武田三代の館跡である「武田神社」周辺を歩いてみよう!

現在武田神社がある場所こそ武田信虎、信玄、勝頼と武田氏3代にわたり居所とした城です。その周辺には今なお、武田氏にまつわる史跡、寺院、墓所などが点在しています。
武田神社へ参拝がてら、ほど近い場所にある史跡等を“ぶらり散歩”で巡ってみるのも楽しいですね。

信玄ミュージアム

まずは武田神社を出発して甲府五山の一つ「円光院」をめざす。

武田神社前には甲府開府500年を記念して作られた「信玄ミュージアム」があり、武田三代の歴史、つつじが崎館跡の発掘調査による出土品や当時の城郭の様子などが詳しく分かります。
ここから東の方向へ歩いていくと、細い道になり「護国神社」に出ます。この辺りは桜の名所でもあるので桜の時期に散歩するとなお一層楽しめることでしょう。

山梨県護国神社

さらに東に進んでいくと、道脇に小さな灯籠と石碑があります。「牛供養塔」といって昔、農作業など生活に欠かせなかった牛ですが、この辺りで火事により牛小屋が全焼してしまい、飼っていた牛が焼死してしまったとのことで飼主が建てたそうです。見ると石碑に牛の顔が刻まれていてちょっと珍しい、そして可愛い感じもします。歩きだからこそ気づくことができる供養塔です。

牛供養塔…石碑に牛の顔が刻まれているのが分かりますね!

そして円光院へ。信玄の正室「三条夫人」の墓所

甲府五山の一つ「円光院」には信玄の正室であった「三条夫人」のお墓があります。三条夫人は京都・公家三条左大臣・公頼(きんより)の次女として生まれ、16歳で信玄公の正室となりました。京の都から甲斐国にきて34年、信玄公に先立つこと3年・50歳で逝去されたそうです。

甲府五山の一つ「円光院」
三条夫人のお墓

信玄火葬塚(しんげんかそうづか)

円光院からちょっと道を戻って南に下ると「信玄火葬塚」があります。読んで字の如く亡くなった信玄の遺体を火葬した場所です。信玄の遺言通り、信玄の死は以後3年間は秘密にされたといわれています。

信玄火葬塚入口付近
「法性院大僧正機山信玄之墓」と刻まれています。

信玄の父「信虎」が眠る「大泉寺」へ

甲斐国(現山梨県)の新たな支配体制の礎を築いた武田信虎。その菩提寺である「大泉寺」は「信玄火葬塚」からさらに南へ20分ほど歩いたところにあります。
境内には緑の木々が多く山門も歴史を感じる造りで趣ある寺院です。信虎自身が建立した寺で、武田氏に関わる遺宝が数多く残っているそうです。中でも信虎の肖像画は国の重要文化財に指定されています。
本堂裏には信虎、信玄、勝頼とともに並んで供養されています。

歴史を感じさせる山門
境内には緑が多い。
武田信虎公のお墓
本堂裏にある信虎、信玄、勝頼の供養塔

武田神社から出発して武田三代に関わる史跡を紹介しました。徒歩で2時間程の散策ですが、のんびり甲府の街をぶらり旅するのに最適です。ぜひ武田氏の歴史に直接ふれてみてください。

武田神社→牛供養塔(徒歩15分程)→円光院(徒歩7分程)→信玄火葬塚(徒歩7分程)→大泉寺(徒歩20分程)

武田神社
  甲府市古府中町2611
JR中央線甲府駅(北口)からバスで約10分(武田神社下車)
武田神社http://www.takedajinja.or.jp/1_jinja.html

甲府観光ツアー専門.

カテゴリー
観光情報

甲斐善光寺 ー 戦国時代に信濃善光寺の焼失を恐れ武田信玄公が開基・創建した寺

甲府「板垣の里」に創建され460余年

甲斐善光寺は1553年(永禄元年)に武田信玄公によって開基、創建されました。
これは「第3回川中島合戦」の後になります。武田軍と上杉軍の度重なる死闘を繰り広げた川中島合戦。この合戦によって「信濃善光寺」が焼失する危機に瀕し、信玄公は信濃守護として御本尊阿弥陀如来像のほか、諸仏・寺宝をこの甲斐善光寺を創建し移転させたのでした。
また武田氏滅亡後も徳川家康、浅野長政らの厚い保護を受けました。

武田菱の家紋が屋根上部中央に見える。手前の唐破風部には三つ葉葵の家紋が付いている。

復興に次ぐ復興で今日に至る

甲斐善光寺は江戸時代の1754年に大火にみまわれ、諸堂がことごとく消失。その後も地震、台風などの被害を受け、その度ごとに復興し今日に至っています。現在の甲斐善光寺は1796年に再建されたものです。
金堂は江戸時代、30年という長い歳月をかけて再建されました。この金堂は木造建築としは全国でも4〜5位という規模だとのことです。

有料だが、ぜひ体験していただきたい!

甲斐善光寺に行ったなら有料(500円)だが、ぜひ体験していただきたいこと、それは本堂へ入って正面の拝所で天井を見上げると「鳴き龍」があります。真下で手を叩くとこれまた良い響き。そして本堂奥・裏側に回ると「戒壇巡り」ができます。
戒壇巡りは、真っ暗な中に入って手探りで壁づたいに歩いていき、灯りがみえたら中央部なのだが、あまりに暗すぎて一向に目が慣れず全く何も見えません。初めてだと恐怖さえおぼえますが、さほど長い距離ではないのでご安心を。(全く見えないので常に壁を触りながら進むこと)
携帯などのライトで照らすとご利益が無いそうです。また、「幸福の鍵」というのが真ん中あたりまで進むとあって、それがご本尊と繋がっているので触ると願いが叶うと言われています。
(残念ながら「鳴き龍」など写真撮影は禁止されています)

上記の銅鐘は信濃善光寺から引き摺って運んだとのことで「引き摺りの鐘」として知られています。鎌倉期の梵鐘としては最大級だそうです。

車で来ても善光寺駅から徒歩で来てもこの善光寺につながる道路(善光寺通り)の奥に大きく山門がそびえていて、近づくにつれだんだんその大きさに圧倒される感じがします。
まだ行ったことのない方、ぜひ一度足をお運びください。

【ご参考】

下に掲載したのは長野市にある「信濃善光寺」の写真です。最近行く機会があったので撮影したものですが、本堂の形などよく似ているのが分かります。ちなみにこの本堂は1707年に再建されたものとのことで国宝に指定されています。
元々信濃善光寺ができたのは642年というから「大化の改新」より前になります。とても長い歴史がある寺院です。

国宝である信濃善光寺・本堂
山門(三門)
仁王門

甲斐善光寺
  山梨県甲府市善光寺3丁目36−1 
JR身延線「善光寺駅」から徒歩7分
ホームページ:http://www.kai-zenkoji.or.jp/index.html


甲府観光ツアー専門.
カテゴリー
観光情報

甲州夢小路 ー 江戸の風情を感じさせる古い街並みが現代によみがえったタイムスリップエリア

「小江戸・甲府」を感じる異空間!

甲州(山梨県)は江戸時代、徳川幕府直轄地であったといわれています。そのため小江戸文化が甲府においても発展しました。芝居小屋もいくつかあって江戸から歌舞伎役者がきて歌舞伎興行が頻繁に行われたほど。
甲府市内には今でも城下町の面影を残す通り名が残っています。「鍛冶町通り」、「魚町通り」、「桶屋町通り」などなど。
そんな城下町「甲府」の明治〜昭和初期にかけての小江戸情緒を感じさせてくれる施設「甲州夢小路」が甲府駅北口にあります。

夢小路のシンボル、“時の鐘”!

「時の鐘」。 ボタンが設置されていて押すとしばらく後に鐘がなる仕組み。

江戸時代には一日12回、2時間ごとに昼夜を問わずこの鐘を鳴らして人々に時を知らせていたとのこと。この鐘の音で人々は、日常生活に必要な主な時間把握・管理を行っていたようです。
江戸時代、一旦移設した後に火災で焼失しましたが、その後再建され明治5年まで人々の生活に寄り添った「時の鐘」。
140年の時を経て駅北に忠実に再現されました。

各種飲食店、お土産品店がそろった場所

1Fレストラン 2Fバー
甲州ワインを取り揃える
アクセサリーショップ
雰囲気ある中庭のテラス

蔵造りの建物や当時の洋館風建物が立ち並び、フレンチ・イタリアン・和食レストランやラーメン店、またワインショップや菓子店、アクセサリー・雑貨店などが軒を並べています。
またちょっとした休憩や小腹がすいたときに便利な軽食・喫茶もあるのでとても便利。

ハンバーガーショップ
生ジュース、ジェラートやティーはこちら

甲府駅北口で線路に沿うように建っているので目立つ上に駅に近いので観光には超便利。周辺観光して最後に甲州夢小路に立ち寄ってもいいし、観光途中の休憩でも最適でしょう。小江戸情緒をぜひ味わってみてください。

今の時期は紅葉で施設内の木々も色付くのでいい雰囲気です!

甲州夢小路
  山梨県甲府市丸の内1丁目1-25 
JR中央線甲府駅(北口)から徒歩3分
ホームページ:https://koshuyumekouji.com/

甲府観光ツアー専門.
カテゴリー
観光情報

甲府観光専門ツアー会社『HKPツアーズ』秋のオススメ!坐禅体験&甲府市内自由観光

秋空の下、自転車に乗って甲府の街をゆっくり観光してみてはいかがですか?
最初に由緒あるお寺で坐禅体験、その後自由に観光しながらランチは山梨県産食材のオリジナルランチを楽しみ、そしてまた自由、気ままに市内観光を・・・
きっと、新たな甲府の発見ができますよ!

詳細は下記アドレスをクリック!

甲府五山臨済宗妙心寺派 能成寺

 能成寺 https://kofu-tourism.com/spot/35

カテゴリー
観光情報

甲府城・稲荷櫓(いなりやぐら)ー 約210年間を地震にも耐えた頑丈な櫓が復元

鬼門方角に位置する別名「艮櫓(うしとらやぐら)」が復元

1592年から1598年頃にかけて築城された甲府城。その中で鬼門である城の北東方角にあった稲荷櫓(いなりやぐら)は1664年に建築され、明治に入っての廃城令で破却されるまでの約210年間、地震にも耐えた頑丈な建物であったといわれています。その稲荷櫓は平成16年に土蔵づくりで復元したものです。

金箔鯱瓦が出土。その詳細がわかる資料館

稲荷櫓は当時、見張台としての役割、また鎧や武器を収める武器庫として使用されていたようです。現在復元後は資料館となっていて無料で見学することができます。
入って正面に目を引くのは甲府城跡から出土した鯱瓦(しゃちがわら)の資料。金箔が施され高さが132センチメートルあり、あの国宝「松本城」の鯱瓦よりも大きかったというのでビックリします。やはり甲府城には天守閣があって早い時期に壊され撤去されたのでしょうか?謎が深まります。

鯱瓦復元模型。現物はこの2倍だそうです。

当時の甲府城の大きさが分かる城全体模型が展示されている。

甲府城復元模型

現在も相当大きい城跡だと感じるが、当時の甲府城は現在の約3倍の大きさがあったと言われています。実際今の山梨県庁がある部分も「楽屋曲輪」といわれる城の一部であり甲府駅も「清水曲輪」に位置しています。そう考えると当時の甲府城の大きさは相当なものだったと言えましょう。2階スペースに復元模型が展示されています。細かな部分まで精巧に作られていてわかりやすいです。山梨県庁、甲府駅の位置説明も入っているので現状との比較がしやすく分かりやすいです。

出土した瓦や皿、また築城時の説明資料が分かりやすく展示されている。

石を割る際の道具類 
出土した「かわらけ」や皿類
石垣の積み方説明書き
甲府城には温泉が湧いていた!

いろいろ展示してある中で目を引くのは「甲府城内には温泉が湧いていた」というから驚きです。温泉のある城は他にはないでしょう。実際、殿様やお侍も温泉に浸かっていたのでしょうか。想像するとまた歴史ロマンが広がります。

稲荷櫓の周りにある展示

稲荷櫓へ昇る階段横には石垣に使う石の割り方が展示されていて、矢穴に矢をさした状態になっています。また稲荷櫓復元時の土蔵の壁の造り方を説明した展示もあります。最後に「稲荷」についてのご説明をしようと思います。この稲荷櫓がある場所は「稲荷曲輪」(いなりくるわ)というエリアになるのですが、ここに稲荷神社があったことから「稲荷」の名が使われているとのこと。現在は甲府城南側のお堀脇に鎮座しております。

青空に映える「稲荷櫓」。左に見える松の木は武田神社と同じ「三葉の松」

さまざまな魅力がある甲府城。甲府観光の折にはぜひ立ち寄ってみてください。

紅葉し始めた稲荷曲輪内の樹木と天守台
咲き誇った桜と稲荷櫓

甲府城稲荷櫓
  甲府市丸の内1丁目5−4 (舞鶴城公園甲府城跡)
JR中央線甲府駅(南口)から徒歩2分
ホームページ:https://kofu-tourism.com/spot/19

甲府観光ツアー専門.

カテゴリー
観光情報

一蓮寺 ー 一条小山(現甲府城跡)にあった鎌倉時代から続く甲斐源氏ゆかりの寺

甲府城ができる前に一条小山にあった一蓮寺

甲府城は一条小山という小高い山に築かれた平山城(ひらやまじろ)ですが、もともとこの一条小山の山腹には「一蓮寺」がありました。
武田家初代に当たる武田信義の嫡男である忠頼がこの一条小山に館をかまえていて、1180年に平家討伐のため甲斐源氏として挙兵し戦果を上げました。しかしながら甲斐源氏の勢力を削ぐため源頼朝によって忠頼、その長男行忠ともども誅殺されてしまいました。
夫と子を失い失意の底に落ちた忠頼の夫人は居館を尼寺にして生涯慰霊を弔ったとのこと。この尼寺が後に(1312年)一蓮寺となったのです。

豊臣秀吉による甲府城築城時に移転される

天下統一した豊臣秀吉は加藤光泰、浅野長政・幸長(よしなが)親子に甲府城築城を命令、一条小山に甲府城を築くため一蓮寺は現在の地に移転されました。(1595年)現在の一蓮寺は甲府市街のほぼ中心にあり、遊亀公園に隣接して趣あるたたずまいを呈しています。

本堂
参道

甲斐国主であった「柳沢吉保」の肖像画が保管されている

柳沢吉保は江戸時代に5代将軍徳川綱吉の側用人として有名ですが、1704年に甲府藩主であった徳川綱豊が6代将軍(家宣)に決まったことから吉保は甲府藩主となり甲斐国主になりました。徳川一門以外で唯一甲府城主になった大名です。
甲府が江戸時代で最も発展し賑わった時代がこの頃と言われています。その吉保の肖像画「絹本著色柳沢吉保像」(縦140.8cm×横92.8cm)が一蓮寺に文化財として保存されています。

柳沢吉保肖像画

その他にも武田信玄公筆と伝えらる紙本著色渡唐天神像もあり山梨県指定の有形文化財になっております。

遊亀公園、また大通りに隣接し、学校も近くにあるため境内を歩いて抜けていく人もまばらに見られます。現代の人々の日常に寄り添って今なお甲斐源氏の歴史を物語っている由緒ある寺院です。

結構大きい釣鐘堂
優しい顔をした像

一條道場稲久山一蓮寺
  甲府市太田町5-16
JR中央線甲府駅(南口)からバスで約10分(遊亀公園下車徒歩1分)
ホームページ:http://www.ichirenji.jp/

甲府観光ツアー専門.